せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

一問一答 「尊敬する人は?」

A,ことばの翻訳土壌を確立し、エネルギーを注ぎ込んでいる人(=生ききっている人)


世界とせかいの架け橋となるのが
言葉で、言葉を「ことば」に
翻訳(解釈)することでせかいが
かたちづくられる。そして、
それは存在者独自の「ことば」であり、
その「ことば」を世界に向けて表現する
つまりことばの言葉化によって
世界は拓かれ、成熟していく。

言葉は言語だけではない。
言語も文字の羅列ではなく、
言葉未然の「ことば」があるから
発信され共有されていく。
だから「ことば」は言語として
表現されるだけでなく、時に
アートや音楽やスポーツとして表現される。
その「ことば」↔️「言葉」の
翻訳土壌が確立できれば、そこに
エネルギーを注ぎ込むことができる。

そもそも得意な翻訳土壌を
見つけるのは簡単ではないし、
注ぎ込むことは何かを選び
それ以外の選択肢を捨てることでも
あるから、とても怖い。
例えうまくいっていても、
選ばなかったそれ以外の選択肢が
消えるわけではないし、
うまくいくということ(つまり人生における
成功)事態本当のところ″わからない″。
つきつめればわからないし、
わかりきれないことばかりだ。

それでもやろうとする人を尊敬する。
わからないことをわかろうとする
ことは、ある意味バカなんだろう。
どうせわからないならわからないで
いいじゃん、わかったところでどうせ
死ぬじゃんって開き直ることも
できるわけだから。


でもさ、やっぱり少しでもわかりたい
んだよね。存在者として存在そのものへ
少しでも近づきたい。
それはたぶん存在者だから。
かたちをもって生きているから。
生きている限り、バカやっていたい。

エネルギーを分散させず何かに注力する
ということは偏ることでもあるから、
見方によっては変態だ。
まとめると、バカで変態を尊敬している
みたいになっちゃうな。笑