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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

豊かな未来は『自己肯定感』から

こんばんは、ぴーやまです。
今日は前回に続き、人間という
存在者について!

人間は、集めた情報と情報のつながりを
発見し、未来予測にいかすことで
生き延びてきた存在者だと述べました。
情報の多さではなく集めた情報のつながりを
見いだす力(物語力)こそ、人間が生き延び、
さらに社会の中心的存在者として
支配するにまで至った理由だと考えます。

また、物語力の構造は
①過去をひもとく→②未来を仮定する
→③今実行する
の三段階で語ることができ、
それは人間が時間という概念をもち
今だけでなく過去や未来という時間軸を
もつ存在者であることを示唆しています。


つまり、今を生きるために未来が
必要な存在者であるということですね。
正確には、″未来が認められるかたちで
在る″と思える必要があることを意味します。
ここでいう未来とは、今より先の時間という
程度のくくりであって、数時間後であり
数十年後、何万年先まで含みます。
 
未来が認められるかたちで在ると
思える条件として、″なにかできそうな
気がする″という感覚を持てることが
あげられます。
つまり、自分という存在者が何らかの
かたちで関われる感覚ということですね。


けれども、物語力の構造的には
②未来を仮定する の前に、
①過去をひもとく があります。
いうなれば″情報と情報のつながりを
発見する″という部分であり、
未来の仮定とそれをうけて実行する今の
軌道を左右する土台的な部分だといえます。

ここがうまく回らないと、
未来も今もうまく回らないということです。
つまり、なにかできそうな気がする
という感覚を今見いだすためには、
まず過去をひもとき、未来を仮定する
情報(素材)を認めている必要があります。

ここでいう″認める″は、「いいね!」ではなく
「あるね!」です。
なので、過去から得る情報(素材)が
○○ができない・苦手・嫌いという
ものである場合も多々あります。
未来に乗りこえた姿を描くパターンです。
しかしながら、それらの克服や共生といった
未来を描けない場合ももちろんありますよね。



過去をひもといて、″できなかった″という
情報を同じように得ていても
なぜ描く未来が異なるのか?
(ひいては実行する今も)
情報と情報のつながりを見いだす段階で、
なにか別の要素が影響しているのではないかと
考えました。


そして導かれたのが、『自己肯定感』!
過去をひもといた時、たとえできなかった
という情報を得ても、できるだろうという
未来を描けるのは″たとえそのかたちで
できなくても、なんとかなる″という感覚が
あるから。つまり、″世界(せかい)への
絶対的信頼″であり、解体という
運動においてかたちが変わっても、
存在はあると認められるという感覚です。


これはおそらく、人間という世界を
物語的に把握する存在者にとって
骨組みに値する相当に重要な
感覚であると思います。未来を描くとき、
大なり小なり物事を選択しますよね。
その時にも、この『自己肯定感』が
豊かに養われているかいなかが
選択の豊かを規定していると思うのです。
だから選択肢ってたくさんあるようで、
実は選ぶ前からいくらか狭められて
いるんじゃないでしょうか。
選択した未来を描けなければ、
その選択肢は世界(せかい)に″ない″のですから。