せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

『無条件の承認体験』が難しいワケ②

続きます。

じゃ、環境も整っていて受けとるのも
割りとスムーズに出来たぜっ!
という人はほんとうになにも問題は
ないのか?
といえばそうではなく、実は異なる
難しさに直面すると思われます。
それは、世界(せかい)の
深さを獲得する難しさです。


我々存在者は、世界(せかい)の広さと深さを
拓いていくことで立体的に把握する
ことができ、その積み重ねでこそ
4D領域の″存在(愛)そのもの″へ
迫っていけると考えています。

広さとは、物事でも人でも外へ外へと
繋がっていこうとすることで獲得
されていきます。
それは、あるものをそのまま認め
さらに次のものへ…とドンドン消化していく
ことで可能になります。
あるものを″在る″かたちのまま認めることは、
自分自身も在るかたちのままで認められる
という前提があってこそできるのです。 

そして深さとは、物事でも人でも
内へ内へと繋がりをみつけようとすることで
獲得されていきます。
それは、あるもののかたちを疑うことでも
あります。繋がりはあるのか、核はどこに
あるのか等をあきらかにしたいという
欲求を内包していて、それは
″自分自身の承認体験″の投影でもあります。
つまり、他の存在者にどのようなかたち
でも″在る″という意味を見いだすことで
自分自身もあると認められる、
という論理です。
※そのままでは消化できず、いちいちかみ砕き
比較し考察し納得するというプロセスを
経なければ認められないため。


どちらも世界(せかい)を拓くのに必要
な要素ですが、個体によって得手不得手が
あり、それは育った環境・能力の個体差に
由来します。
環境も整っていて受けとるのもわりに
スムーズだった存在者はそのかたちのまま
認められた体験を持っているので、
世界(せかい)の深さ獲得へと
自発的に向かいにくい傾向があります。


逆に、承認体験をスムーズに
認められなかった存在者は
認められたというストーリーを
探して(あるいは、認められなかったという
ストーリー)その証拠集めを
するようになります。
無条件の承認体験という、ストーリーを
紡いでいく大枠を獲得するためです。
つまり、自然深さの探求へ向かうことに
なり、世界(せかい)においても
深さの獲得へ向かう傾向をもつということです。


前者は自分の″ある″を疑わないため、
意味探求のベクトルは
世界に向くようになります。
後者は自分の″ある″を疑っているため、
意味探求のベクトルは
せかいに向くようになりますが、
実際のところ世界の中で自分の
″ある″が認められる場所を探すかたちを
とります。
それは、誰かから認められる・
何かで成功を納めるといった目に見える
かたちで他の存在者に承認されることで、
自分の″ある″を認め安心するためです。


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と、書いてきましたが
このあたりはもやっとしたものを
感じながら書いています。
どこか見落としているようで、
ピタッときていない…
おそらくブラッシュアップなり、
解体・創造なり必要なのでしょう(^q^)

「ちゃんと確立させてから書けやっ!」
と思われるかもしれません。
が、わたしとしてはこういう
途上の段階こそ積極的に開示して
いきたいのです。
私自身、自分の「ことば」と
その翻訳土壌を見つけた人たちの
結果だけを見て、感動こそすれ
じゃあ自分も!とは思えなかったからです。
特に思考方法でことばを翻訳する人の話は、
成功哲学としてメソッドが簡潔に
まとめられています。そういう
本を読むと「ああ!できそう!」
と思うのですが、実際のところ
なかなかうまくいかなかった。
「ことば」に至るまでの過程が
見えないまま、いきなり結果を
提示されても納得できていなかったから。
わかったつもり、になっていたのです。

だから私は、「ことば」に至るまでの
かっこわるさも含めて開示していこうと
思っています。
それに、世界(せかい)をより立体的に把握
していくことが存在者のあり方としてふさわしい
と思っているので、完成なんてなく
だからこそ修正は必然だと思うのです。
書いては直し、また書いては直す。
そうやってせかい地図を更新していくことで
世界(せかい)を広げていけるなら、
どんなかたちになろうと悔いはないっす!

(ということは、ずっとかっこ悪いんじゃ…!)