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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

「認められないこと」とどう向き合う?

こんばんは、ぴーやまです。 
今日は「認められないこと」との
向き合い方について!
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そもそも、日常で使う際の「認める」の
ハードル高すぎない?と思う。
「いいね!」という共感とかリスペクト
とか肯定的な意味合いが相当含まれている。
でもわたしは、「あるね!」という
いわゆる″認識″で十分なんじゃないかと
思ってて。


確かに「いいね!」は嬉しいよ、
なんか孤独も分かち合える気がするし
虚しさも多少癒える。
でも、存在が多様である故に
存在者は多様で多面的だから、
「いいね!」と肯定的に
認められない対象は在る。
そういう意味では、すべて認めることは
できない。
だから、「いいね!」と肯定的に
捉えることを求めるような圧力は
暴力的だなぁとかんじる。
「いいね!」と肯定できないことを
肯定してくれないなんて、ずいぶん窮屈な
話じゃないですか?



優しい人は全部「いいね!」にしようとして、
オセロをひっくりかえすみたいに
あたまやこころを肯定で埋めようとしてる。
克服して、感謝して、満足して、
褒めて、許して。
それを「受け入れること」だと信じて、
それこそが「幸せ」だと信じて。

でもさ、「いいね!」だけじゃ
せかいは拓かれないんだよね。
意味を求めるエネルギーが反駁と
とらえられると、運動が起こりに
くくなるから。
次第に「なんで?」が怖くなる。
自分にも問うことも、他人に問われる
振る舞いも怖くなる。
それでも存在は多様だから、
存在者はあなたの「いいね!」を
越えてくることがある。受け入れられない
ことがある。
それでも、のみ込もうとする?
仕方ないといって、物わかりのいい顔で?
幸せになった″それ″は、一体だれなんだろう。

全部受け入れようだなんて、
謙虚じゃなくてむしろ傲慢だ。
存在者の領分を越えている。
すべてを肯定できるはずないし、
実際しなくていいんだ。
「いいね!」といえないことが
あったなら、まずはちゃんと
「あるね!」と認めてあげようよ。
表面だけ整えたくらいじゃ
消えやしないのだから。