こんばんは、ぴーやまです。
卒業シーズンに便乗して、
漠然と思っていたことをば。
学生のとき、基本的に行事は
あまり好きじゃなった。(よね?)
運動会に始まり、学芸会やら
授業参観やら合唱コンクールやら。
一致団結、めざせ優勝、赤組さん
がんばってください…全く入ってこない。
それでも「燃え尽くせ3の4」
「team★○○愛」とか
腕やら顔に書いたなぁ。
そんな中、一番そわついたのが
卒業式。何が怖いって、
トイレですよトイレ(゜ロ゜;
ただてさえ寒い時期に入場前の
廊下に並ばされてすでにちょっとキテるし、
とか思ってるうちにバーっと会場に
いれられて来賓のおじさんたちとか
保護者がずらっとならんでいるあの光景…
祝辞とか始まってからの長丁場。
卒業生代表とかあたりには、
だいぶ尿意が意識に上がってきてる。
あのお決まりの封筒から出してガサガサ
するやつなんなん、いいよぱっと出してよ!
とかちょっといらついてくる(笑)
中学だと一人一人呼ばれるあれが
始まる。いやがらせかなってくらい長い。
(権田原?勅使河原?もうみんな阿部にして!)
卒業式で初めて聞く名前とかあって
ビビり、そこから空想を広げて意識的に
気持ちをそらしたりするけど、
その手も長くは続かない。この辺りから
暗示が始まって、「尿意は15分間感覚で
落ち着く説」が神々しいくらいの
力を発揮する。嘘かほんとか
しらないけどさ、もう入信してもいい!
尿意スペクトラム教、入りますっ(ガタッ)
そんな頃には、式も佳境に入り
あとは卒業の歌とか校歌だけ。
だがしかし、尿意もほぼピーク(愕然)
行きたいという方へ気持ちの針が
70%までふれ、いやまてあと30分だ!
ともう一人の自分ががんばれ!と
背中を叩く。(こんなにがんばれ!に
感情移入した行事はなかろう)
必要以上に力を込めて歌うから
許してくれとかこれ終わったら
膀胱に優しいものをとか、
泣き落とし的な感じも入ってきて
もう全然感動どころじゃない。
あ、でも泣けばその分水分が
出るからいいかもしれない!と思い直して
極めて不純な動機でもらい泣きを狙う。
ほとんど違う意味でないているうち、
5組から退場がはじまる。
ヨカタ!4組でヨカタ!(歓喜)
体育館の出入口辺りはクラスを越えて
抱き合って泣いてる女子やら
ウェイウェイいってる男子で
ごった返している。真顔で押し退けて
ダッシュ!空いてたゲット!
…
…
ありがとぉおおございますっ!(震)
なにが?持ちこたえた膀胱?
精神力(?)トイレの存在?
わからない、わからないけどとにかく
ありがとうだけが全身を貫いていた
ことは確かです。
排出されたヤツでさえ、恨めしくなく
一緒に戦った仲間に感じる。
「イヤーお前じゃなかったらダメだった
かもな❗」と最大級の賛辞を述べ、
軽やかな足取りで教室へとかけていったー。
人生の山場ここにありって感じですね。
え?行けばいいじゃんっていった?
それは、保護者席の、つまり大人の
尺度だよ。そらそうだ、生理現象
なんだから仕方ないし、我慢したら
身体に悪いし漏らすよか行った方が
いいに決まってる。
でもな、それを選べないでぎゅっと
拳を握っているんだ子供は。
大人たちが電話かかってきたふりや、
時計を気にするそぶりでもして
パッと会場を出るのとは
トイレに行く重みは全然違うんだ。
具合悪いそぶりをして出ることも
できるけど、「ぜったいトイレだよね~」
という勘繰りは免れない。
自意識に違いないが、この頃の子供たちは
それぞれ自意識でパツンパツンに
膨らんでいるから誰かのちょっとした
ズレに敏感だ。そこをつついて、
ちょっと空気をぬいてごまかしがら
なんとか息をすっていられる。
でもこの私が代表してつつかれる
いけにえになることはゴメンだ!
そんな感じ。
子供にとって、学校やクラスは
世界そのものだ。だから、そこでの
いじめやハブは大人の尺度で
図れない壮絶さがある。
大人は、「もう少ししたらどうせ
離ればなれになるんだし。」とか
「社会の厳しさに比べたらかわいいもの」
と思うだろう。
また、逃げればいいともいうだろう。
(そう気安くいう大人は、大抵本当の
意味で逃げたことがない。)
世界は広いこと、逃げられること、
そして自意識をごまかすことを
少しずつ覚えたからそう言えるだけだ。
そしてその尺度の違いを思い至らず
反省しない大人にはなりたくないなぁ。
まぁ何がいいたいのかっていうと、
卒業式はインターバル挟もうぜって
話\(^_^)/