せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

これを人生と呼ぼう

 

もう蕩けるべき境界はないのだろうか。

それは、私のうちにおける統合が

(かたちをもつ存在者における制限に

留まるにしろ、)最大限果たされた

ということなのか?

 

目指していたはずなのに、

虚無感に襲われる。「なにかできそうな

気がする」予感を得るための、未完成の

未来を豊かに描けない。満たされ過ぎて

いるのだろうか。すべて認めようとすれば、

個人レベルの痛みや憂いが吸収されてしまう。それは、かたちを出しきっていると

いえるだろうか。統合までの葛藤がない。

 

 

いや、きっとこれが「次元の壁」の

前なのだ。

手酌で酒をあおりたいといつか思った

その場所だ。

わたしと存在そのものの間にある壁。

越えられない、越えなくていい。

ただ向き合うこと、流れる旋律に

身を委ねること。

 

向こう岸とこちらとでは

異なる世界があるのだろうし、

互いに壁の向こうに思いを馳せる。

その希求がいつかかたちとなって、

或はかたちを失わせる。

その繰り返し、続いていく。

わたしとしてでなく、すべてとして。

それが有限性を超えられる地点、

存在者観点からいえば「意志」するものだ。

わたしというかたちが終わっても、

全体として繰り返されそのなかに

わたしが蕩けているだろうと

信じること。その上で、わたしのかたち

ゆえの有限性を認められるよう、

死と向き合うこと。

それが虚しさを僅かにでも癒す道。

 

一人じゃないと言ったって、

身体で繋がったって、

みんなに賞賛されたって、

必要な存在だと求められたって

「次元の壁」はなくならないし

あなたが認めたくなくても

それは 在る。

その地点まで遡ると、おかしみが

こみ上げてくる。

芯から震えるのは、恐怖でなくて

おかしみのためなのかもしれない。

 

この息苦しさを抱えたまま、

蛸糸を切らさぬよう注意しつつ、

かたちを押し出し世界を拓く。

ことばを見いだす。そして、おかしむ。

 

それを人生と呼ぼうと思う。