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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

中学生を見ると、鼻の奥がツンとする

 

こんばんみ、ぴーやまです。

ちょっと思ったことをば。

 

今どきハイソックスって短めが

流行りなんだね。

膝下まであげてる子ってほとんど

いないなぁ、何てことを思いながら

眺めてたらふいに鼻の奥が

ツンとした。

あ、決して汗くさいとか思春期特有の

においじゃなくてね。

あの頃を思い出して、胸がつかえる

というか…

 

自意識でぱつんぱつんだったなぁ。 

何が不満といえないけど、

鬱屈としてそれでいて猛烈に

走り出したくて

なにか確からしいことを求めながら

誰とも違う自分を見つけたくて。

自分の輪郭を暗中模索、

意味を求めるゆえに混沌から

めりめりと分裂が起こる。

でもそれにうまく言葉を見つけられず、

怒りなのか焦りなのか恐怖なのか

とにかくごった煮状態で。

〔初めての大きな解体期なのだろう。

ここをうまく切り抜けられる人は

安定体質というか、現実的な人だろう。

そこでつまづいたり、その後も大きな

解体期が何度も起こったりする人は

創造体質というか。よくも悪くも

意味を求めるエネルギーが強く、

中2性を持ち続ける人ですね。〕

 

 

ニキビ面で足もたくましく、

どてっとした体型に腫れぼったい目。

鏡を見るたび憂鬱になる、そんな日々

だったようにおもう。

多かれ少なかれこういう衝動に

引き裂かれている、

自制のきかない自意識の塊が

ちっさい教室に四十人も詰めこまれたら、

いじめなんて簡単に起きる。

ゆとりのせいでも時代のせいでも

なんでもない、どちらかといえば

生理現象に近い。

 

ぱっつんぱっつんの自意識にぷすっと

空気穴をあけなきゃとても正気で

いられない。これは個人ではなく、

およそ全体の意思だ。

(解体期ゆえの境界線の越えやすさ

というか溶けやすさにより

個人を越えて全体の意思になるんだと思う)

それがいじめという

形態をとってしまいがち、というだけ。

もちろん、いじめをよしとしてる

訳じゃないが、存在者の根底にある

どうしようもない弱さ醜さとして

露出している側面も認めた方がいいと思う。

ダメ、ぜったい!とがなりたてるのは

自分のなかにある残虐性を

認めるのが怖いからじゃないか?

人間はたいした理由もなく、

いじめてみたり傷つけてみたり

殺してみたりする。

良心が咎める?それは、

世間に馴染むために身に付けてきた

道徳観のようなもので、

全存在者共通の本質なのかは

甚だ疑わしいなぁと思う。

 

とはいえ、「真・善・美なんて

所詮個人差じゃんね」とは思わない。

それらは個人、個体を越えて

共通するものを祈る地点にあると思うから。

 

ここまで来て、言いたいことの

輪郭が見えてきた!

どうしようもない弱さ醜さを

自分事として向き合って、

突き抜けた先で共通するものを

祈る、というのが1つのルート

なんじゃないか?ということ。

それは、私が解体を経ない統合を

信じていないという事情もあるだろう。

引き裂かれて、「うっわーダッセー

めっちゃ醜いな自分、認めてこなかったのは

直視できない弱さのためか…」

のあとに、

(いやそれでも…だからこそ…!)

と奮い立つ。そういう祈るかたち

そのものが真で善で美だったりするの

かもね。

 

 

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すべてに理由がある

すべてに正解がある

と思うのは、思いたいのは、

私たちがかたちだからだろう。 

 

各々に何らかの意味がある、

と思いたいのはかたちが意味だからだろう。

 

だから、「意味である意味は?」が

ほんとうに問いたいことなんだろうな。

 

 

 

なんで鼻ツンから存在者の真善美

の話になるのか自分でもよくわからないけど

楽しいなぁ。

そんでもって、私も自分事として

向き合うことを止めたらダメだなと改めて

思う。それは、生きることを引き受ける

ということ。

 

選んでない(かも)、でも生まれてきた。

意味はない(たぶん)、でも意味だ。

引き受けるぞ、生ききるぞ。

心のハイソックス、ぴっかり引きあげて

あがく大人になりたいです。(なんやそら)