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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

「すべては、愛」はことば足らず ①

 

こんばんは、ぴーやまです。

今日は、愛についての考察をば。

 

 

愛は、存在だ。

愛それ自体は現象界にはない。

現象界にあるのは、存在者だけ。

存在者を存在者としてあらしめる、

起源であり原子でありすべてを含む

愛。在る、その不思議に私たち

存在者は、驚き戦き喜び哀しみ怒り畏れる。

在ることの不思議の前には

どんな技術も思想も力を持たない。

それでも(それ故?)、

探求せずにいられない。

 

 

存在者は愛をわけもつかたちあるものだ。

かたちのないものは現象界に存在しない。

かたちのないもの=目に見えないものでは

なく、輪郭のないものだ。

故に想像上の生き物や思想も存在する。

存在者が認識できるものはすべて輪郭を

持つ。それは、我々がかたちだからだ。

だから、我々は″無″がわからない。

○○が無い、はわかっても

純粋な″無″を認識できない。

かたちないものをかたちのある我々は

認められない。

そして、愛そのものもかたちを持たない。

だから我々は、純粋な″無″と″存在″を

混同する。

 

つまり、我々は現象界にいる限り

かたちという枠組みを超えることは

出来ない。肉体というかたちを

失えば愛そのものになる可能性は

あるものの、それは我々の探求目的が

達成するということではない。

かたちを失い愛そのものに

なったその瞬間、意味も失うから。

すなわち、かたちが意味なのだ。

 

だから、意味があるかないか?ではなく

意味である意味こそ、真に問いたい

ことだろう。俗に言う意味がある・ない

が指すところの『意味』は、利益の有無

でしかない。利益をもたらすか

そうでないかを問うことは、かたちへ

埋没している自覚のなさゆえだ。

かたちがないものへの希求として

発せられる、意味である意味を問うこととは

正反対だといってもいい。

 

つまり、かたちあるままかたちないものを

探求しようという試みが、存在者の

存在意義だといえよう。

かたちゆえの問いはかたちの喪失と共に

存在に吸収されるとして、わざわざかたちで

あるならばかたちを最大限発揮する

しか存在に迫る道はないのではない

だろうか。

 

最大限発揮するには、特性を知って

いなくてはならない。ということで、

次回はかたちの特性について。

今日はここまで、ばいちゃ!