せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

吐きながら抱きしめる

 

 

状況が動かないまま、にらみあってることに

耐えられなくなって動いてみた話。

 

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Googleの検索履歴に

⚫死ぬ 手段

⚫生命保険 免責 

⚫身辺整理

とか彼岸へ引っ張られてる

フレーズが並ぶようになってきた。

 

2ちゃんには準備物から注意点まで

細かく載ってたりして

ありがたいんだかなんなんだか(笑

もちろん抜かりなくスクショ。←

解体初期は念入りな方法を画策してた

くせに、最近じゃ

「部屋であるもんでいけないかな?」

みたいな手抜き加減。

境界線を越えることとか

存在だなんだといってきたのに、

そのときは見事にポンと抜けていた。

思考はマイナスのまま行動スイッチが

入ると怖い。理性も感情もなく、

「考えたって仕方ないや、

とりあえずやってまおう!」という

衝動だけで動いてしまう。

 

最初に試したのは水だった。

飲みすぎると水中毒になるという

情報を知り、気軽に試してみる。

二リットルすぎた辺りから

ちびちびとしか飲めなくなり、

ちょっと気持ち悪くなった程度で

ダメだった。

 

次が首つり、というより締め?

ぶら下がるにちょうどいいところが

なく手でぎゅっと締めるも

心臓ばくばくするだけだった。

 

その直後にゴルフのパターで

頭を殴る。(あきらめのんかい!)

自分で全力スイングは無理すぎた。

 

 

そして、お酒。

もともとあまり強くないほうで、

どれくらい飲めるかわからなかった。

で、とりあえずビール!

…ん?うわうわ!きぼちわるっ。

髪の毛引っ付かんでのたうち回り

水をのんではのたうち回った。

三時間くらいしてやっと吐き、

ホッとしていつのまにか寝ていた。

 

 

のたうち回る三時間の間、

あちらの世界と交渉(を勝手に)した。

死なないと約束しないと苦痛から

解放されないのでは、と思いながらも

確約できないことを言い切るのは

できないという謎の正義感があった。

(やっぱ生きてたいだろ?的なほくそ笑みに

反抗心を抱いたのもある。笑)

なので、生きるベクトルとそちらへ

向かう一歩目について考えてみること

にした。今まではハナから

「存在には所詮叶わない」と決めつけて、

シャットダウンしていたこと。

穏やかに生きることを認める方法、

いや時に穏やかじゃなくたって

認める方法を。

 

 

かたちであること。

それを認められない私がある。

かたちの先にしか、存在はない。

そうやって、かたちと存在の

間に線を引いてみる。

別物と考えるのではなく、

ただの影だとなげやりになるんでもなく

つながりある関係だと。

そしてその線を引くのは

他でもない自分なのだと。

誰もが線を引く当事者で、

例え無意識であっても引こうと努めている。

信仰、芸術、共感といった営みは

愛の紛い物や影ではなく、愛へ引こうと

する線なのだと考えてみる。

だから安心してかたちであれるのだと

解釈してみる。安心できないのは、

その線が引けないと感じるときなのかも

しれない。

そして存在に迫まろうとするとき、

一度かたちを離れて新たな視点で

眺めることを望む。それは、

かたちから離れるというよりも

俯瞰してみる、というのに近い。

かたちの輪郭をとりはらう。

そしてそこから新たなかたちを

模索し、創造する。

それは存在に迫るアプローチだけれど、

一時的には既存のかたちを壊す

わけだから、かたちである我々は

影響を受けずにいられない。

かたちは意味であり、意味はエネルギーで

もある。だから、強く意味を求める事象で

かたちが壊れる。

それは、次のかたちのためである。

意味を求める故の解体なのに、

かたちでなくなったら意味は不要になる。

そこが最大の読み間違えポイントなんだ!

(と、読み間違えている当事者は

つかんだことばにちょっとニヤつく)

 

前向きに死をとらえることは、

存在を肯定していなければ難しい。

そして、存在を肯定するということは

かたちを肯定するということだ。

その間の線を引こうとする試みが

営みであって、派生するかたちが

生きるということならば。

あの問いに、答えられる糸口が

少しだけ見えた気がした。

 

 

吐きながら抱きしめる。

なんという地獄絵図(笑)

もう少しあがこう