せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

今日も脈略なく。

 

 

無条件の愛

 

矛盾している。

無条件な愛と条件付きの愛が

あるのではない。

愛は無条件が条件なのだ。

そしてかたちをわけもつ私たちには、

かたちという条件のない愛を

かたちなく認めることなどできない。

 

言葉はかたちだ。暖かいスープも

重ねる手のひらも満天の星空も

もちろんかたちだ。

 

 

かたちは有限で移り変わる。

儚いといえば儚い。けれどもそれが

かたちの条件なのだから、仕方がない。

そう、仕方がない。

この世は仕方がないことだらけだ。

 

 

かたちの共通項や法則性、

あるいは別のかたちへの転換方法を

どれだけ見つけ、また精査できるか。

最初は純心に追い求めたのかもしれない。

いつしか考えもせずかたちだけ引き継ぎ

(あるいは都合のいい解釈をし)

躍起になった結果、

ピラミッドから降りられなくなり、

命の選択に頭を抱え、信仰のために争う。

(伝言ゲームは悪意もなく間違う)

かたちからの解放どころか

ますますかたちに埋没している。

 

 

 

転換期だからというならば、

想像してみてほしい。

誰もが食うに困らず、衰えもせず、

皆豊かに暮らすような限りなく

不変な世界を。

そんな世界でまともにかたちで

あり続けること、かたちの意味を

問うことなど出来るだろうか?

なぜ生きていることを喜び感謝し

悲しむことができようか。

 

困難があるから生きることも輝くと

言いたいのではない。

どのような理想郷を実現しても、

かたちであることからは逃れられない。

(それはかたちにとっての理想郷だ!)

本当に唯一求めていることは、

ここにはない。

それがはっきりと分かったのなら、

なぜまともに生活していられるだろう。

 

 

核兵器は人類の過ちのシンボルだ。

だからこそ、理想郷を完成させた暁に、

そのスイッチが押されるのではないか

と思う。かたちを失うために、

嬉々として。最大の解体のために。

なるほど閃光は確かに最期の光に

似ていないこともない。

その時人類は何を思うだろう。

かたちであったことを、

そしてかたちでないことを

認められるだろうか。

(過ちであるところのワケを?)

 

なに、そんなことをしなくったって

私自身の死で足りる。各々の死で足りる。

だから結局、向き合う事態は

同じなのだ。

 

 

何のために、が不毛な問いなら

何を問おう。

生産性=価値、という社会のあり方に

がんじがらめになっているこのかたちを

解放させてやることからはじめよう。

そのためには、まず生産性と価値とを

それぞれ問い直す。ハンマーで

かちわってから

「はて、どうしたものか?」

と考えるのはお得意様だ。

 

 

 

私には愛がわかりません。

絶対にわからないのに

わかりたい訳がわかりません。

わからずにいられない訳が、

わかりません。

なのに、わけもっているのだから

ますますわかりません。

わけもっているのなら、どこかに

あるのでは?と思いたい。

そして信じたい。なのに、

それはかたちへの沈殿に

繋がってしまう。

愛から遠ざかってしまう。

いや、もとより近くないのなら

遠ざかることもないのだろうか。

すみません、やっぱりわかりません。

なのに何故でしょう。

わからないことをかたちの上であっても

認めることは、少し気持ちがいい。

安らぐような懐かしいような

柔らかいような感覚。

 

 

明日が来る。

来たら認める。

太陽はきっとサボらないし、

地球もやっぱりサボらない。

頑張ってサボらないのでなく、

かたちの性質として繰り返す。

だから私も、私のかたちの性質として

がんばらなくてもサボらないことを

しようと思う。

私がサボらないのは、

食べる寝る考える。そんだけだ。