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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

線を引くこと

 

 

何かできそうな予感

 

今、持てないでいる。

ずっとぐるぐる考えたり、眺めたり

振り返ったりして毎日を

無為に過ごしている。

未だに大人になりきれない自分を

どう扱っていいのかわからない。

 

 

わたしというかたちがかたちでありきる、

つまり生ききるにはどうあればいいの

だろう。罪悪感や焦燥感から選んだ時、

いつもここじゃない感があった。

虚しい傍観者だった。

そういう生き方はもういやだ。

当事者として生きることと向き合いたい。

認めてもらうためじゃなくて、

私が生きることを認めたい。

納得したい。

 

 

ことばが発展する場所を求めている。

生活と生きるがリンクする場所。

何かひとつ強くなりたい。

武器じゃなくて、価値じゃなくて、

つながるために。線を引きたい。

 

 

死によってかたちから解放され、

存在そのものになれる。

決してなげやりなものではなく、

明るく朗らかなイメージなのだ。

すべてがある豊穣の場所。

しかし、死は恐れられ時に敗北であり

残酷な終末のように語られる。

死に至る病は治さなければならないし、

闘わなくてはならないし、

つまり生きなくてはならない。

その感覚が私にはわからなくて、

前提として語られること(生活そのもの)

に共感できなくて、サイコパスなんじゃ

ないかと考えたときもあった。

でも、誰かを傷つけたり殺してみたいと

思ったりはしないので、恐らく違う。

はらやこころじゃわからないのを

認めて、頭でわかればよしとしよう。

 

死を肯定していて、向こう側への想いは

人一倍強いと思う。それは、かたちのない

世界への情景であって、純粋に突き

詰めればそのものになりたいのだけど、

今はかたちとしてわずかでもいいから

知りたいのだ。だから、線を引ける

ところへいきたい。生活する上で

お金は大事だし、有名になったり

必要とされたりするのも嬉しいと思う。

でも、一番大切なのは燃焼しきること。

ただひとつのことに夢中になって、

瞬間のなかに永遠を感じたい。

あの光をみたい。

かたちのままに、かたちを超えたい。

わかっている。それは祈りだ。

穏やかなものではなく、引き裂かれ

ながら握りしめるような、切実な祈り。

 

 

消費されていかないもの、

血肉になるもの、

底の底から響いてくるもの、

認める時に助けになるもの

 

受けとる、渡す、気づく。

どこでならできる、誰となら。