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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

かたちの本質とは

 

 

生きることに納得できていない、

ということをわずかに認められるように

なった。納得させようと自分を型に

はめこまなくていい。納得できないことを

認めよう、向き合うためにも。

 

美味しいものを食べることができる、

安心して眠ることができる、

ほどよく働くことができる、

感じ考え想像することができる、

認められることの豊かさを

慈しむことができる。

 

だからといって、生きることに納得

できるわけじゃない。内からほかほかした

気持ちになることもあれば、

うまくいかないことや不安で押し

潰されそうな夜もある。そうやって、

慰めたり緩めたりして過ごす日々。

けれどそういうサイクルを生きる

と呼ぶことにうんざりしている。

それは生活だろう。

 

 

無関心と過関心が、生活問題の

温床だろうことはわかる。

でもそもそも、生活に興味がない

ことの何が問題なのだろう。

続けていくだけの生活に

興味がないことの何がダメなのか。

かたちであるかぎり、永遠はないのに

続いてきたからという理由だけで

続けていくことは良いことなのか。

生活における選択の自由さを思えば、

もはや嗜好品のように感じる。

特に最近は情報や流通が

すべからく高速化していて、

あっというまに消費されていく。

モウイイヨ、いっぱいだよ。

 

 

 

最近よく思うのが、死そのものと

死に至る過程を分別しようと

いうこと。死ぬことは時に痛みや恐怖を

伴うから、暗いイメージがあるのは

わかる。けれども、それは死に至る

過程の話であって、=死ではない。

死を越えるかたちの解体はないのだから、

死を望むことはかたちからの解放を

意志することであり、永遠への情景だ。

だから、生ききりたいと

思えばこそ、死に接近するのだと思う。

 

死を美化している自覚はあるけれど、

やはり可能性にかけたい。

死んだからってかたちから解放されない

かもしれない、また別のかたちとして

死活?するのかもしれない。

でも、可能性はある。

全員が報われる物語だから、捨てられない。

どんな人も、人でなくても、本当に

求めたかったことがすべてある。

かたち以外すべてある。

 

だから、かたちの本質を知りたい。

かたちとはなにかわかれば、かたちでない

こと、つまり向こう岸の片鱗が見えるのでは

ないかと思うから。 

 

輪郭、光、透明、体積、6次元、分裂と統合