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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

自殺はなぜダメか

 

 

自殺はなぜダメか。

私なりの答えを述べたい。

 

まず、多くの場合自殺によって

解決されないからだ。

問題解消の仕方に誤りがある。

なにかが上手くいかないなら、

全部やめてしまおうという

考えで死を選ぼうとする。

 

その場合、やめるのは生きること

ではなく、かたちへの執着だ。

勝手に問題化しているのは、

なぜだろう。誰から見てなにゆえに

問題なのだろう。どんなかたちで

あることを放棄したいのだろう。

そういうことをうやむやにして

死のうとするのは、生きることへの執着が

ないくせに執拗なまでにかたちへ

執着しているからだ。執着したいからだ。

ならば、死んでも解決されっこない。

かたちがないのだから。

かたちはかたちで解決するしかない。

 

かたちで解決できることで絶望なんて

するな、かたちで超えられないもののために

賭けるもんだろ命はよ!!

刹那的な「生活」を省みないツケで

″死のう″?死ぬことを″選ぶ″?

ぬかすな。

生まれることも死ぬことも私には

″選ぶ″ことなんてできない。

選べるとすれば、生の始まりから生の終末

までの生き方だけだ。

生活を謳歌してきたのに、生活に溺れたら

″死のう″なんて図々しい話。

生きるのを選んできた人間だけが、本当に

″死ぬ″ということを考えることができる。

お前はどれほど真剣に生きることを

考えてきたか。生活でなく、生きることを

考えてきたか。

己の保身や安寧の為でなく、すべての

かたちの虚しさの為に祈ったことはあるか。

 

 

生きることは別に良いことじゃない。

生活に至ってはたいてい茶番なんだから、

そんなちっさい枠でくくった形式なんかに

縛られるな。ドMか!

いいか、まずはラベルに気づけ。

こうでなきゃいけないとか

こういう人間だとか。そういう貼られた

ラベルなんざ、かたちを出しきる上で

邪魔になるから。ただし、自分の核の

部分を形成しているものもある。

それは根本的な価値観だ。君が生きるのを

支えるものでもある。だから、

それ以外のはがせるもんははがして、

価値観はそれとして認める。ここでいう

認めるは、点検確認のこと。

あるねで十分だ。

そうでなしに、生活を彩っても

かたちを取り繕っても虚しさなんて

癒えやしない。

変わろうとすることや様々な選択よりも

ただ認める、ということがなによりも

難しい。そしてそれができたなら、

すべてじゃなくてもいびつであっても

ぐちゃぐちゃ泣いたまんまでも

「あるね」っていえたなら。

それ以上に大切な生活なんてものが、

あるのかい?

 

 

いじめ、虐待、過労、老化、金銭。

鬱屈とさせている原因はなくならないかも

しれない。ただし、向き合いかたは選べる。

受け取りかたは選べる。

お願いだから近視眼にならないで。

選べるあなたを棄てないで。

そう願うから、可哀想だなんて言わない。

最後の鍵はあなたが持っていなくちゃ

いけないよ。誰かやなにかに委ねているなら

まずはこの手に取り戻すこと。

そこから始めよう。

なんどだって、そこから始めよう。