せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

考えるのが好き。とりわけ死について

 

 

村上春樹さん風のタイトル!

 

生を続けることに執着がなく、

無論かたちにもこだわりがない。

だから、こうなりたいとか

あれを手にいれたいという思いも

ほとんどない。

よく言えば無欲、悪く言えば無気力。

どちらにせよ、残された時間を

どう過ごすのか考えたいところ。

すべきことがない人生は、

時間をもて余すからね。 

 

平均寿命が87歳前後だから、

下手したらあと60~70年近くある。

生きることはリスクだなと改めて思う。

どんだけのびりゃあ気がすむんだろ。

去年5年更新したばかりだから、

ひとまず縮める選択肢は外しておく。

 

お金は生活する上で必要だ。今のところ。

でも、手段であって目的じゃない。

七つ集めて願いが叶うわけじゃない。

願い、限りなく祈りに近い私の願いは

存在そのものへ触れること。

かたちにも何にも執着のない私にとって、

これは数少ない望みだ。

どうすれば、触れられるか。

愛へ線を引けるのか。

私のことばが、豊かに耕され

発展する場はどこだろう。

一番大切なことば、″生きるを認める″。

そのことばに沿うのはどこだろう。

 

進む道を決めた日、西洋美術館で

展示品のポストカードを二枚買った。

どちらもモネの絵だ。

全体が明るく突き抜けるような青空の

絵と、鬱蒼とした森にかこまれた川に

葉の緑と淡く朝日が反射する絵。

まったく異なる光が描かれているが、

私は後者がより好きだと思った。

僅かな淡い光は、ひとつの道のようだ。

そういう割りきれない曖昧な、

実用的でなくわかりにくいゆれを

掬って生きるのも悪くないと思う。

それは、罪悪感をすり減らす

ためじゃなく、せかいが豊かになる

からだ。あるね!といえるせかいが

ミクロ方面へ広がる。

超ひも理論では、残りの6次元がごく小さく

丸められて3次元の中に隠れているというが

まさしくそんな感じ?

 

迷いが出るのは生活のため。

そらそうだ。生活なしに生きられない。

でも、生活のために生きるを蔑ろにしたら

それこそ虚しい。生活は手段だ、目的

じゃない。

生きろ、私。

生きろ