せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

電車に乗って

 

 

たまに、何もかも捨てたくなる。

仕事も趣味も人との付き合いも家も物も。

捨てたところで、どうなろう。

そうは思うが、長く持ち続けると

澱のようなものが少しずつ溜まっていく

息苦しさがある。

別に嫌いになった訳じゃない。

でもそういうときはあるし、

誰かの顔に同じような色が

しゅっと浮かぶのをみることもある。

淋しい共感は少し温かい。

 

 

 

だからだろうか。時折、電車に乗る。

一応の行き先はあるが、目的は乗って

移動することだ。なんのつながりもない

ところへ無性に行きたくなる。

街行く人を眺めて、二度と会わない

んだろうな、などと思う。

それでいて、自分が景色になったような

軽さを感じる。考える主体でなく、

感じる主体。ただ在るだけの、今。

ぼーっとして、また電車に乗って帰る。

 

 

 

年を取るにつれ、計画的に生活する

ことを考え始める。生活の様々は

向こうから降ってきて待ってはくれない。

なにかを望まなくてはいけない、

というよりも、望まないと正気で

いられない。だから、生活を細々彩り

ながら生きている。

それでいて、生きることは

なんにもわかりやしない。

生活にだけ詳しくなって、

なんだか哀しくなるね。

 

 

 

 

もし、二度と戻らないつもりで

電車に乗るなら、どこへいくだろう。

生活はどこまでいっても生活で、

なにをもっても不安だった。

頑なに守ろうとしても、すべてかたち

なのだからいずれ朽ちて消える。

そう考えると、次に乗る電車の行き先は

生きることへ向くだろう。

どこにつくかはわからないけれど、

結局かたちであるならば

線を引けるところにたっていたい。

 

孤独なのは、愛ではないから。

存在者はみな孤独だ。

虚しさがわずかに癒えるのは

人といるからではなく、

存在に線を引けていると感じられるから。

 

 

なにもかもやる気がないときは、

ちゃんとやる気を失ってみる。

取り繕わず、低空飛行する。

その目線で見える世界は、

イキイキ生活しよう!と息巻く

生活人間の時には見えないものだ。

二面性があるせかいはせわしないし、

どっちが本当かと問われたら

どっちもそうだしどっちも違う。

ただ、そういうせかいなのだ。

どちらにあわせることもしないで

生きていることを点検確認するだけだ。