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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

ことばの海から

 

 

これまで、特にこの4年間は

ことばのために費やしてきた。

たくさんのことばに触れ、

自我を幾度もとり崩しては

その破片を積み重ねてきた。

今回ばかりはもうだめだと

毎度思ったが、じっと亀のように

待っているうちにいつの間にか

春を迎えていた。

 

少しずつ栄養を与え、豊かになった

ことばの海から引き揚げてきた言葉を

私は私のためだけに使いたくない。

正直に言えば、

得るまでの道のりやそのために

選ばなかったことを思うと、

ぽんと差し出すことに対して

惜しい気持ちがあった。

あるいは同じだけの血を流し

得てきた言葉を差し出せと、

腹のなかで思っていた。

かけてきた時間や労力に対する自負、

そのために得られなかった充足感や幸福感を

思うと、軽く扱われることに

怒りを覚えた。それがプライドである。

そしてことばは、私にとって

一番大事なものだ。

 

どうすれば自尊心を育てられるかを

ずっと考えてきた。頭の片隅に

おきながら、ヒントを探し続けてきた。

自尊心の本質は、全面的な肯定経験と

自らの振る舞い・結果等の経験に対する

肯定。肯定するためには、肯定された

経験が必要なのだ。それは、一般的に

良いとされる行いをし誉められた等の

狭い意味での肯定ではない。

しこう(思考、志向、嗜好)!

を、共感ではなくそれそのものを

認められた経験をさす。

この基盤なしに肯定する経験を積み上げる

のは難しいし、狭い意味での

肯定のみを積み重ねてきた場合、

その規範からずれる行いをするものや

自らのしこうを裁くようになる。

自尊心を育てられなければ、

プライドとのバランスがとれなくなる。

肥大していくプライドが己を

押し潰す。その時、認められた経験という

基盤までボロボロの人間は、立っている

最後の土台まで壊してしまう。

肉体か精神を病むか、死に傾くのは

時間の問題だ。

 

 

時代の病理はそこにある。

であるならば、価値観の多様化の前に

多様さを認めうる柔らかさが必要だ。

それは決していいね!という共感の

強要であってはならない。

そういうものがあるんだな、

という形で認められればよい。

そして、認めてもらえなかった自分が

いるのなら、認めてほしかった自分を

肯定していくしかない。

認められていたと記憶を捏造する必要は

ない。ただし一つ大事な点として、

我々存在者は愛のへたっぴ症候群を

患っていることを頭の片隅にいれて

おくことだ。

渡すこと、受けとること、気づくことが

とても難しい。

愛が難しいのは、私たちがかたちだから。

それでも愛を求むのは、愛をわけもって

いるから。

 

 

ことばの海はだいぶ豊かになってきた。

さぁ、引き揚げよう