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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

人生定年制度

 

 

死にたがり度合いにおいては

シオランに負けず劣らずだと思う。

別に誇ることではないのはわかっている。

しかしながら褒めてあげてもよかろう

と思うのが、それでもなお生きることを

選択しているという点だろう。

 

いまだに生きたいという感覚は

わからないし、死にたい気持ちも

なくならない。息を吸うように、

自然にいつも死にたい。

全然健康、万事順調。むろん、死にたい。

OSが死にたいになっているとしか

思えないレベルだ。

 

私はもう、死にたい理由を自分に

問わないし裁かない。

皆に認めてもらおうとも思わない。

自分が認めればオッケーだ。

むしろ問うべきなのは、なぜ

それでも続けるかということの方だろう。

 

 

ひとつ、妄想的に考えていることがある。

「人生定年制度」とでも名づけようか。

ある年齢に達したら、そこから生き続けるか

そこで辞めるか選択できる制度があれば

心理的にかなり救われると思う。

結局、いつまで生きるかわからないからこそ

そして思うように動いたり考えたり

できなくなるからこそ、

つまるところ不自由な将来を想像して

生きることにうんざりするのだから。

(突き詰めれば、不自由でなくても

うんざりするけども。ここでは割愛)

 

貯金しておく額も少なくていいし、

家だって気にしなくていい。気楽だ。

事前に、早死にを希望した人には

年金分の税金がいくらか割引になれば

尚いい。それは贅沢かなぁ。

 

価値=生産力として裁く国家なのだから

それくらいやったっておかしかない。

秩序や体裁を鑑みなければ、もっと

シンプルだ。

生きることに権利も義務もありゃしない。

死ぬ権利がないなら、生きる義務だって

ないだろう。それに、否!!というだけの

答えを持ってるのか。あなたは。

人類の繁栄が続くよう努力する必要性を

どのように説くのか。

私はまったくわからない。

であるから、なぜ続けるのか問うのだ。

そこに感傷だの正義だの生ぬるいもんは

入り込む余地などない。

 

 

もし、続けるべしとの答えを出せたなら

その時は誰一人望まずとも

どんな展望の世であっても

私は続けることを望む。

自分を勘定に入れずに、だ。

 

 

これが祈りでなくてなんだろう。

これ以外に私に仕事などあるだろうか。

否!