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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

虚しさを引き受けて

 

明確な要因がわからない自死は、

人を困惑させる。身体の芯の部分が

低温やけどをしたかのように

熱を持ち、落ち着かない。

その時、かたちでは解決できない

存在の壁の前で立ち尽くしている

ことに、はっと気がつく。

 

握った手のひらから漏れる空虚

地響きの耳鳴り

暗く荒れた海と曇天

 

 

 

生きることはいいことだと

自分に言い聞かせたのかもしれないな。

それだけでなく、生きることに悩む

人々へエールさえ送ろうとした。

過大に役割を意識しすぎたきらいがある。

きっと真面目で、優しかったのだろう。

そして、自信がなかったのかもしれない。

独特のらしさや尖ったところがないこと、

いい子の殻を破れないでいることが

どこかコンプレックスだったのではないか。

人中にいるほど孤独は深くなる。

まあ、本当のところはわからないし

自分ですらわからないものだ。

唯ぼんやりとした不安。

そんなもんだ。

 

 

 

私は、慰めあいなんてしたくない。

ただ、圧倒的に肯定したい。

いいか悪いかなんてどっちだっていい。

続けるんだ。かたちの問題はかたちで

解決して、それでも残る虚しさを

引き受けて、進むのだ。

そこに、損得や道理うんぬんなどが

入り込む余地はない。

泣きながら、歌うのだ。

すべての傷みを笑うのだ。

 

 

ご冥福をお祈りするほど消化できて

いないので、問い続けたいと思う。

最近よく感じることだが、

社会性は生きていく上で必要だけど、

それがあんまり過剰なら問題だ。

そんなに急いでどこへいくのだ。

はっとした問いの前では止まって

いいじゃない。

生涯ひとつの問いを背負って生きること、

そういう人生は生活にはなりえない。

すべからく、生きる人生だ。

私は表面上取り繕って上手くいった

人生より、

問いの前で悶え、続けることで

答える人生の方が好きだ。