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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

今日もりんごの木を植える

 

 

続けると決めたら、

すぅっと心が軽くなった。

どうすれば続けないでいられるか

思い煩っていたときは

重くて苦しくて薄暗かったのに。

 

本心では生きたかったから、

なんていうつもりはない。

今でも茶番だと思っている。

それが喜劇であり、演者になりきると

腹をくくっただけ。

覚悟なんて大それたもんじゃない。

それに、かたちの痛みがなくなるワケ

じゃない。身もだえる冬は近い。

 

 

また、若い命が喪われた。

SNSの誹謗中傷が要因ではあるだろうが、

本人の心が不安定であったことには

違いなかろう。

そんなの気にするな、強くなれ

などとぬかすつもりはない。

ただね、くだらねぇなとは思う。

そんなの、死ぬことを″選ぶ″なんて

言わないんだわ。

死んだらみんな一気にシュンとして、

犯人探しして、そして、忘れるんだ。

そういうくだんねぇ社会性だけで

身をかためている人間に

殺傷なんてできっこねぇんだよ。

自分を守るための柔なトゲしか持って

ないんだから。

自分の内にある刃でしか、

一番深いところは刺せないんだよ。

だから、最後の鍵は誰にも渡しちゃ

いけない。踏み込ませちゃいけない。

私たちはかたちだ。どれだけ信用して

愛しい人であっても、境界線を越えちゃ

いけない。

 

 

【もし明日世界が終わるとしても、私は今日りんごの木を植えるだろう】

これは理想の生き方の話でも、美しい終末の話でもない。今いきる私自身の話だ。

明日世界が終わる、というのはつまりいずれ死ぬ存在ということ。地球が終わらなくても、私が死んだらせかいが終わるのだから。

今日りんごの木を植える、というのはつまり世界になにかを残そうとすること。次の世代、次の世界に。そこに私がいなくても。

 

そうだよ、もうすでにみんなやってる。

少なくとも、そう生きるためにもがいてる。