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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

どうせ続くのなら

 

 

家庭を持ち、子を産み育てる

 

それが生きることの肯定だと決めて、

もうなにも考えずにさっさと

取り組もうと思った。

仕事、子育て、それに付随する

コミュニティ内の役割。

忙殺されてしまえば、あっという間に

時間が過ぎて、忘れられるんじゃ

ないかという期待もあった。

 

どうせ生きるなら、

生きることを続けなくちゃいけないのなら

考えないでいたい。

考える上に続けるなんて拷問だ。

砂を盛って、盛ったら崩して、

また別の場所に盛るのとおんなじだ。

意義を見いだせないと生きられない。

意味なんて要らないのに、

生きなきゃいけない。

 

 

 

かたちに埋没すればいい、そう思った。

誰かの悪口をいってみたり、

社会問題を遠くから嘆いたり、

後先考えず遊びほうけたり。

そうやって生きて、死なんて考えないで

今好き勝手やるのを望めばいいだけ。

感覚のスイッチだけをいれて、

思考のスイッチを切ればいい。

 

 

でも、ふと冷静になる。

あははははと笑ってる奥の方で、

くっそどうでもいいと思ってる。

深刻にうなずいていながら、

本当はなにも感じていない。

そういう自分をみつけると、

結局家庭をもって子を生んでも

同じじゃないかと思えてきた。

忙しさの合間に、

『さっさと終わんないかなぁ』と

きっと思うのだろう。

 

 

生きることの肯定が続けること

それ自体であるのなら、

自らの子孫を産み育てるというかたち

でなくてもよいのではないか。

そもそも性的な欲求という極めて動物的な

感覚によって引き継がれてきた筈である。

そして、その快楽欲求によって

身を滅ぼすのが常である。

日本の少子化、とか小さいレベルで

生めよ増やせよとやってる場合なのか。

多くの問題は人間自身が蒔いた種であろう。

…と、いう感じで続けないための

理論武装に走りそうだ。

 

 

 

個人としての継続ではなく、全体として

続けていく。全体、というのは

人間だけでなくその他諸々の生物を

含む生命体、およびその基盤たるこの星。

何十億年後には太陽が爆発し、地球も

吹っ飛ぶらしいが、その頃には別の惑星を

作り出して移住してるかもしれない。

人工の太陽で案外快適に暮らしてるかも

しれない。(たまに目撃される宇宙人は、

未来人だったりするのか?)

言語が必要なくなって、もしかしたら

食べ物も要らないかもしれない。

感情も邪魔だから、必要なくなって

いるかもしれない。

犯罪も貧困も環境汚染もいじめも

欲望も労働もないかもしれない。

 

なんの問題もない、無菌室の地球A′。

果たして問うことは残るだろうか?