せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

球体の世界

 

 

人が、ものが、

すべて球体だったらいいのに。

それならシンプルでわかりやすい。

 

我々が考えるべきは、かたちの些細な

違いではない。悩むべきは

かたちの色や大きさではない。

これは慰めではない。

その事をはっきりさせないと、

いつまでもかたち上のしょうもない

悩みに翻弄され、仕事に

とりかかれないからだ。

労働ではない。仕事だ。

 

 

かたちであること自体について

考える、それこそ仕事だろう(しんどいが)。

そもそも考えるとは、かたちと意味と

それらを引き受けて生きる方を

選択するために頭を使うことじゃないか?

かたちはどこまでいってもかたちだ。

かたちa→かたちa′で解決される問題なんて

もともと解決する必要もない、

勝手に問題に仕立てあげた暇潰しの

玩具だろう。

 

 

すべてが球体。

同じ輪郭と体積を持つ、まんまるの顔。

人間の記号とは一体なんだろうか。

言語を生み出す?道具を使える?

理性的である?

すべての人間に当てはまる記号は

思い浮かばない。

すべてのかたち、これも同じだ。

 

シンプルに考えるなら、時間と空間に

おいては同じ条件下にあるといえる。

一方通行の時間、これはかたちにとって

経年変化および劣化を意味する。

また、3次元空間に存在し輪郭と体積を

持つ。これらを複合して考えると、

かたちはその中に有限性を内包している。

外ではない。かたちであるために、

有限でなくてはならない。

その意味で、内包しているのだ。

 

 

 

逆に考えよう。かたちが多様である

ということは、何を意味するか。

すべてのかたちが球体ではない、

むしろ同じかたちが存在しない。

その唯一性はおそらく護られる

べきだろう。かたちの多様さは、

存在の根源にあるものの照射で

あるから。おそらく。

だから、多様性は排除すべきではない。

人権だのピースだのといった

存在者側の益を根拠とする抗議では、

多様性は護られまい。

(誰かの益は誰かの損だ)

 

 

 

では、かたちでないとは一体どういう

ことだろう。輪郭も体積もなく、無限。

なんとなく宇宙や真っ白い部屋を

思い浮かべてしまうが、それもかたちだ。

かたちがない、ということを

どうやっても考えられない。

肉体というかたちから解放されたら、

知ることができるだろうか。