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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

その感覚がわからなくて発狂しそう

 

 

結婚、出産、健康長寿

おめでとう、お大事に

 

わからない。

穏やかな会話であるほど、

発狂しそうになる。

かたちから解放されたいのに

なぜかたちを保持しようとするのだろう。

かたちが続けば、少しずつ永遠に近寄る?

続いていくこと自体が仮想の永遠?

かたちであることは即ち有限なのに、

何故繰り返すことや引き伸ばすことを

望むのだろう。人間お得意の

読み違えじゃなかったん?

 

当人が望む、という意味で

心を寄せていますよ、と伝えるために

おめでとうやお大事にと言うのはわかる。

でも、自分事に置き換えると

もうわからない。

まとめると、死にたくないという

気持ちを頭ではわかるけど、

心や肚で理解できない。

経済的に恵まれれば、容姿が良ければ

社会制度が整えば…

と、なにかを本気で怒ったり渇望したり

する感覚もわからない。

別に死んでしまえと思うわけじゃなく、

当人が生きたいと思ってて生きる方向に

進むなら喜ばしいよ。

でもさ、そもそもその生に対する

意識や感情のベクトルが真逆だから

「よかったね」が宙ぶらりん。

厭世的でも冷酷無比でもない。

恵まれている、消費してばかりでも

生きていけるのは当たり前なはずはない。

そうだね、有難いことだと思う。

そんでそのまま包み開かずに

中元返ししたい。

 

 

死ぬくらいならやめればいい、

死ぬくらいなら逃げろ、

どうせ死ぬならやりたいことを、

死ぬ気になればなんでもできる

 

わーーー

やめられるもんでも逃げられるもんでも

ごまかせるもんでもちょっとした

気の迷いでもないんじゃい。

 

 

 

幼い頃、生を讃えることって

一種の社交マナーだと思っていた。

人を見た目で判断しないとか

ありがとうやごめんなさいを

言葉で伝えるとか、そういう類いの。

自然にやるのは難しいからこそ、

意識してやること。

みんなそう思ってることを

疑ってなかったんだけど、

物心つくあたりから

「あれ?本心から生きることを肯定

してる人、もしかして結構いるんかな。

というか、みんな真剣に生きようと

してる?」とにわかに疑い始め、

成長するほど確信に変わった。

マジか…と思った。

だから大半の人の″死にたい″は、

″生きたい″である、というのは真なの

だろう。やっと納得した( ̄▽ ̄;)

 

生きようと芯から思うために

努力するもんだと考えてきたけど、

努力して得られるようなもん

じゃないんだなぁ。

なにかが満たされれば生きたいと

思うはず、という生に対する肯定感は

金でも時間でも買えない。

それだけに眩しいし、彼らがいなければ

とっくに息を吸えなくなってただろう。

とはいえ、できる限りかかわり

あいたくない。(笑)

お互い徒労感に苛まれるだけだもん。

適度な距離感を保つのがいいのでしょう。