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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

結婚前夜

 

 

結婚する、ということが

いよいよ現実味を帯びてきた。

もちろん、生きたいという概念はない。

ただ、生きることを肯定したいという

野心がある。

 

生きることはいいことじゃない、

"さぁ" 続けよう。

 

寿命まで生きる現実は変わらなくとも、

接続詞を見つけたことで

少しだけ気が楽になった。

 

道徳は義務だ。

やりたいという感情で守るものではなく、

いやいやであっても遵守するもの。

生きることは、私にとって極めて道徳的だ。

淡々と守る道徳そのものだ。

 

子供が生まれれば、紛れもなく義務になる。

少なくとも成人になるまでは、

育てあげようと思う。

反出生主義に近い考えを持っているものの、

確実に異なる点がある。

それは、いいことばかりの人生であっても

生きること自体を善と判断できないし

全く好きでもない(生きたくない)

という点である。

 

生まれることによって確実に生ずる

苦を避けるために、

そもそもかたちを生み出さない。

その考えはわかる。

”では、なぜかたちなのか。”

それが知りたいのだ。

そしてそれは、かたちなくして

問うことはできないのである。

 

ーすべてのかたちは意味である。

 

また、かたちがないことが最善というのも

結局かたち側の主観によるものである。

苦しくても悲しくても生きたい人は

いるのだから。

そしてなにより、かたちの生成と消滅の

循環を断つことができるという

考えの傲慢さ。

決める権利など、あるのか。

私は照明そのものではなく、ただの点滅だ。

この容器はただの消耗品。

そしてこの感情や思考は、

・・なんだろう。

 

結婚前夜マリッジブルーになるかと

思いきやなんてことはない。

生きていること自体の不明瞭さに比べれば

実にわかりやすい不安だけだ。

解決しようとしないで、ぼうっと

眺めているのが最善手なのは同じかな。

誰と暮らそうが、子供ができようが

どんな仕事をしようが、

どんな親に育てられようが、

どんな私であろうが、

 

 

 

おさらばするまで、問い続けたい。

問えなくなったら、意味を全うしたい。

それだけが、肯定だから。