愛するとは、何であろう。
存在=愛ならば、
愛をするとは一体?
する、つまり動詞であるならば
なんらかの働きかけがあるだろう。
私は今まで、それは『認める』だと
主張して譲らなかった。
それ故なのか、この5年ほど大きな解体も
なかった。
私の中で一応の整合性がとれていた
から、意識を生活の方へ向けて
走ってきたのである。
しかし、子供が生まれ
この子を愛する″方法″を
知りたくなった。
むろん、存在そのものの
愛おしさは表現するまでもないが、
可愛い可愛いいう事が
愛することとは思っていない。
(愛情表現としてあって良いとは思う)
どうすれば、存在をみとめる事が
できるのか。いかに表現すれば
相手に伝わるのか。
認めることをどのように教えるか。
認め、渡し、受け取る。
そのキャッチボールを実際に
やってみせることだろうか。
教育にも関心がわいてきた。
考え悩みながら、
向き合っていこう。