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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

生きたい、とはどういうことか

 

生きたいと思う事に

理由は問われないのに、

なぜ死にたいと思う事は

理由を問われるのだろう?

生きる理由は問われないのに、

死ぬ理由は問われるのだろう?

 

身近な人や大事なペットが死ねば、

共に過ごした時間を思いだし

もう二度と共有できないことを知り

とても悲しい気持ちになる。

でも、死ぬこと自体を悪いことだと

思ったことがない。

もちろん死んだ人をかわいそうだとも

思わない。

同時に、死にたいと思うことを

不自然だとも思わない。

 

かたちを持つことは本来苦しいことだ。

生きたいと思う事は、その苦しみを

少しでも和らげようとする何らかの

計らいなのかな。わからん。

 

 

私の人生の目的は、

生きることを肯定することだ。

いいね!ではなく、あるね!と認める

こと。人生の目的にするくらいだから

簡単なことではないと考えている。

安易にいいね!ということや

いいね!=生きることが好き

と決めてしまうことで、本来のかたちのまま

認めることが出来なくなってしまうのを

危惧している。

愛ではないからこそ、愛せるのだ。

その最中にいては認めることが出来ない。

だからこそ、わざわざかたちをもって

生まれでたのではないのかなと

思っている。

 

 

但し、個人の気持ちの問題として

生きることが好きではない。

だから、積極的に死なないにしても

できうる限りその期間を短くしたいと

目論んでいる。

ガン検診をしないとか、座る時間を

長くとる等ささやかな抵抗ではあるけれど。

 

 

 

健康で、家族もいて、仕事もあって、

世界を知ることや学ぶことの喜びも

享受できて、お金もしばらく放浪

できるくらいはあって、好きな本を

ゆっくり読めて、まとまった休みには

のんびり旅行もできて、衣食住足りていて、これといって欲しいものもなく、

自尊心も健全と思われ、

居場所があるとも感じている。

高校生の頃の自分に教えてあげたいなと

思うくらい、穏やかに生きている。

 

 

でもさ。死にたい気持ちはなくなら

なかったぜ。むしろ濃くなるばかりだ。

もうなにもいらないのに、かたちで

溢れている。

それでも、生きている。生きてきたよ。

 

 

教えてほしい。なぜ生きたいの?

なぜ生きるの?

続けなくちゃいけないの