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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

かたちを求めて

 

反出生主義。

おおよそ、生まれることで得られる幸福より

引き受ける苦痛の方が多いから、

生むべきではないという文脈で

語られる。

 

ほとんど反論のしようがない

ように思えるのは、「存在者側の価値観」

を根拠にしているからだ。

幸福の方が多ければ生んでもいい、

と考えるならそれはほんとうの意味での

反出生主義ではない。

この地点において、かたちであること自体の

不完全性、あるいは虚無に対するあり方が

問われている。

 

 

なぜかたちなのか。

これは解明できないからこそ、

かたちであれるという自己矛盾を

内包している。

せいぜいある解釈を述べることしか

できない。

 

では、どのようにあるべきか。

個々のかたちを出しきること、

そう考えているけれど

そもそもだしきるとはどういう

状態なのか。意味を求めるエネルギーを

燃焼させることだろうか。

あるいは時間を忘れるほど、瞬間に

捧げることか。

だとすれば、既存のかたに嵌め込んだり

夢中になれないことで時間を潰したり

することは、かたちの本来性に

反しているということになるのだろうか。

いずれにしても、生ききることを

私は望む。そして他の存在者が

生ききれない事情があるなら、

できうる限り取り除きたい。

かたちで解決できることで

絶望するなんて冗談じゃないと思うから。

 

 

 

人間のかたちとは、私のかたちとは。

もののかたちとは、こころのかたちとは。

かたちの生成消滅におけるリズムとは。

かたちを知ることのもう一方の

側面として、もののあわれを認める

という方向もある。

かたちは生まれ朽ちて消える。

その過程を憐れむのではなく、

儚さを慈しむ。

かたちがほどけていく様を

ただ眺める。

 

この点滅になんらかの解釈が

得られないことには、

点火に加わるわけにはいかない。

贈りものでなくても与える訳を