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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

詩/星の祝詞

 

静かな夜がある

 

寝そべった甲板は冷たく硬い

生ぬるい風があたまを撫でて

別の石あたまをくすぐりに行った

 

 

星が降ってくる

 

ひとつも取りこぼさないよう

にゅっと目を動かせば、 

向こう側がぼやけてしまう

 

 

星はずっと昔に消滅しているのだと

科学は仁辺もなくいうけれど、

ほんとうはその彼方

科学も同じ彼方を祈るから

眺めずに測るのだろう

 

それすらも照らして響く

無邪気な星たちのわらい声

 

 

眺めるこの魂は

何処まで見れるだろう

静かで騒がしいこの夜が明ける前に

 

 

遠い海に ぽつりぽつりと

剥き出しの魂が浮かんでいる

星のような魂よ 同士よ

焚き火に木をくべる熱でなく、

摩りきれる熱 

漏れでる体液を燃料に

何処までも行かんとする魂よ

 

冷たく硬い甲板を焦がし尽くし

海の藻屑になろうとも

同情などしない

正しく怒る 激しく怒る

 

もしもこの魂が 先に藻屑となったなら

怒ってくれるか 友よ

足掻いてくれるか 同士よ

 

藻屑となる一瞬前に見える景色は

まるで星を反射したような

魂の燃焼であってほしい

ずっと同じ地平にあったのだと

そのひとつであったのだと

 

  これが祈りでないのなら

  何を祈りと呼べばいい

 

とっくに消えちまったはずの星が

瞬きわらうように

深い青い海の底 珊瑚になろう

 

 

 

 

 

 

詩/讃歌に捧ぐ

 

心がびしゃびしゃだ

嗚咽が止まらない

内蔵が痙攣する

 

愛の讃歌は 乱暴に殴り付け

痛みのまま受け取ることを要求する

怒りのまま凝視することを要求する

 

 

すなわち楽器になりきることだ

にじみ出ることを望んではならない

奏でる音に酔うことも許さない

 

繊細な弦と正確な調律を欲しながら、

楽器に徹すること

ただそれだけが 讃歌を聴く対価だと

 

 

近くで遠くで鳴っている

讃歌に殴られた者共の慟哭が

聞こえぬか

 

遥か彼方へ響いていく

永遠への旋律が 憧憬が

 

 

殴られたことを認めたとき、

魂は取引された

望んできた地平は唾棄され

拓きかけていた視界は霧に包まれた

 

 

かたちを超えよ かたちのままに

白線を引け お前の手で

境界線ではなく 輪郭を求めて

徹底的に打ち出す刹那

かたちのない光を見ゆ

その震えを 讃歌に捧げよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを人生と呼ぼう

 

もう蕩けるべき境界はないのだろうか。

それは、私のうちにおける統合が

(かたちをもつ存在者における制限に

留まるにしろ、)最大限果たされた

ということなのか?

 

目指していたはずなのに、

虚無感に襲われる。「なにかできそうな

気がする」予感を得るための、未完成の

未来を豊かに描けない。満たされ過ぎて

いるのだろうか。すべて認めようとすれば、

個人レベルの痛みや憂いが吸収されてしまう。それは、かたちを出しきっていると

いえるだろうか。統合までの葛藤がない。

 

 

いや、きっとこれが「次元の壁」の

前なのだ。

手酌で酒をあおりたいといつか思った

その場所だ。

わたしと存在そのものの間にある壁。

越えられない、越えなくていい。

ただ向き合うこと、流れる旋律に

身を委ねること。

 

向こう岸とこちらとでは

異なる世界があるのだろうし、

互いに壁の向こうに思いを馳せる。

その希求がいつかかたちとなって、

或はかたちを失わせる。

その繰り返し、続いていく。

わたしとしてでなく、すべてとして。

それが有限性を超えられる地点、

存在者観点からいえば「意志」するものだ。

わたしというかたちが終わっても、

全体として繰り返されそのなかに

わたしが蕩けているだろうと

信じること。その上で、わたしのかたち

ゆえの有限性を認められるよう、

死と向き合うこと。

それが虚しさを僅かにでも癒す道。

 

一人じゃないと言ったって、

身体で繋がったって、

みんなに賞賛されたって、

必要な存在だと求められたって

「次元の壁」はなくならないし

あなたが認めたくなくても

それは 在る。

その地点まで遡ると、おかしみが

こみ上げてくる。

芯から震えるのは、恐怖でなくて

おかしみのためなのかもしれない。

 

この息苦しさを抱えたまま、

蛸糸を切らさぬよう注意しつつ、

かたちを押し出し世界を拓く。

ことばを見いだす。そして、おかしむ。

 

それを人生と呼ぼうと思う。

 

 

 

吸収される″ソレ″は一体何なのか?

 

 

肉体というかたちをいずれ

失うことは感覚的にわかる。

土になるとか、骨が残るとかは

結局「物質」としてだ。

(抜けた髪の毛やその辺に落ちた細胞が

わたしではないのと同じ意味)

なんのための肉体か?と考えれば、

土になろうが骨になろうが

それは失われたといって差し支えない

と思う。

*墓は、残されるものが

死者とつながるための象徴として

かたちをのぞむから存在するわけで、

それだけで十分なのだと思う。

 

 

では、生命が肉体をかたちとして存在

させる機構であるとすれば、

それは脳にあるのか心臓にあるのか?

簡単に言えば脳死を死とするなら脳、

生とするなら心臓だろう。

論争になるくらいだから、立場の取り方や

切り口によって異なるのだろうし

個人の意見もどっちかに少し寄る程度だ。

 

肉体は、世界とせかいの媒介であり

道具である。だから、

肉体が道具として使いこなすことができず

媒介になり得ないと考えられるとき

生死の論争が起こる。(脳死など)

生命をもつ入れ物であるだけなら、

例え媒介になり得ないとしても

何ら問題はないはずだ。けれども、

私たちの感覚としては

「それで生きているといえるのか?」

という疑念が沸いてくる。

 

 

たぶんそれは、私たちが「なぜ生きる

のか?」という問いを解明出来ない

からだろう。自分はこう思う、と

ある立場をとることはできるが

それは解明ではなく解釈だ。

生きることそのものでやっと証明を

積み重ねる可能性が残されているに

すぎない。

*こういう時、「次元の壁」の

後ろ姿がちらっと見えて虚しいなぁと

思う。でも、これが最も底にある

問いだと思うと、妙に安心する

気持ちもある。これ以上底はない

からなのか、存在者の足場だからなのか

さえわからないのだけれど。

 

 

 

で、本題。

肉体と生命(脳or心臓)が連動しているのは

わかった。死ぬということは、連動する

そのセットの運動が終わるということで

あり、かたちを失うということ。

(存在者の運動が起きないということで、

残されるものはそれが悲しかったり

ホッとしたりする。)

 

かたちを失う、そして

存在そのものになる。個として

かたちを超える唯一の方法が

肉体という境界線を

超えることなのだと思う。

だとすれば、存在そのものに

吸収される″ソレ″とは何なのか?

 

 

 科学的でいうものとは似ていて異なる

ひかり?それとも、存在者がわけもつ

愛だけ残るのかな。

 

あとずっと気になっていること。

すべてあるのかな

それとも、不全状態もある?

人が決めたことじゃなくて。

 

 

 

目覚めなければ一番

 

感情がなかった時期や大解体の最中

ならいざしらず、創造期や新たな

かたちの法則を見つけたとき

つまり、ワクワクする時でも思う。

目覚めなければ一番だ。

厭世的な気持ちでもないし、

穏やかでいられている今でも

そう思う。最も根源的な願いなん

だろうなぁ。

 

死にたいは、生きたいではない。

幸せになりたいでもない。

そういうかたちの欲求から最も遠い、

希求だ。存在に迫りたいし、

出来るなら存在そのものになりたい。

それは、かたちを失うことが条件

なんだよなぁ。知りたいけど、

知るときにはなってるんだよなぁ。

妙な感傷や直視する恐怖心から

死にたいの解釈を歪めるのは気にくわない。

生命を出来るだけ長期間保持し、

生の終末を先伸ばしするために

使われるだけじゃないか。

メガネのレンズをカラーレンズに

変えたら見える景色は変わるだろうが、

そんな景色見たかない。

 

死にたいは、死にたいです。

 

 

 

卒業式のトイレ問題といじめ

 

こんばんは、ぴーやまです。

卒業シーズンに便乗して、

漠然と思っていたことをば。

 

学生のとき、基本的に行事は

あまり好きじゃなった。(よね?)

運動会に始まり、学芸会やら

授業参観やら合唱コンクールやら。

一致団結、めざせ優勝、赤組さん

がんばってください…全く入ってこない。

それでも「燃え尽くせ3の4」

「team★○○愛」とか

腕やら顔に書いたなぁ。

 

そんな中、一番そわついたのが

卒業式。何が怖いって、

トイレですよトイレ(゜ロ゜;

ただてさえ寒い時期に入場前の

廊下に並ばされてすでにちょっとキテるし、

とか思ってるうちにバーっと会場に

いれられて来賓のおじさんたちとか

保護者がずらっとならんでいるあの光景…

祝辞とか始まってからの長丁場。

卒業生代表とかあたりには、

だいぶ尿意が意識に上がってきてる。

あのお決まりの封筒から出してガサガサ

するやつなんなん、いいよぱっと出してよ!

とかちょっといらついてくる(笑)

中学だと一人一人呼ばれるあれが

始まる。いやがらせかなってくらい長い。

(権田原?勅使河原?もうみんな阿部にして!)

卒業式で初めて聞く名前とかあって

ビビり、そこから空想を広げて意識的に

気持ちをそらしたりするけど、

その手も長くは続かない。この辺りから

暗示が始まって、「尿意は15分間感覚で

落ち着く説」が神々しいくらいの

力を発揮する。嘘かほんとか

しらないけどさ、もう入信してもいい!

尿意スペクトラム教、入りますっ(ガタッ)

そんな頃には、式も佳境に入り

あとは卒業の歌とか校歌だけ。

だがしかし、尿意もほぼピーク(愕然)

行きたいという方へ気持ちの針が

70%までふれ、いやまてあと30分だ!

ともう一人の自分ががんばれ!と

背中を叩く。(こんなにがんばれ!に

感情移入した行事はなかろう)

必要以上に力を込めて歌うから

許してくれとかこれ終わったら

膀胱に優しいものをとか、

泣き落とし的な感じも入ってきて

もう全然感動どころじゃない。

あ、でも泣けばその分水分が

出るからいいかもしれない!と思い直して

極めて不純な動機でもらい泣きを狙う。

ほとんど違う意味でないているうち、

5組から退場がはじまる。

ヨカタ!4組でヨカタ!(歓喜)

体育館の出入口辺りはクラスを越えて

抱き合って泣いてる女子やら

ウェイウェイいってる男子で

ごった返している。真顔で押し退けて

ダッシュ!空いてたゲット!

 

ありがとぉおおございますっ!(震)

 

 

なにが?持ちこたえた膀胱?

精神力(?)トイレの存在?

わからない、わからないけどとにかく

ありがとうだけが全身を貫いていた

ことは確かです。

排出されたヤツでさえ、恨めしくなく

一緒に戦った仲間に感じる。

「イヤーお前じゃなかったらダメだった

かもな❗」と最大級の賛辞を述べ、

軽やかな足取りで教室へとかけていったー。

 

 

 

人生の山場ここにありって感じですね。

え?行けばいいじゃんっていった?

 それは、保護者席の、つまり大人の

尺度だよ。そらそうだ、生理現象

なんだから仕方ないし、我慢したら

身体に悪いし漏らすよか行った方が

いいに決まってる。

でもな、それを選べないでぎゅっと

拳を握っているんだ子供は。

大人たちが電話かかってきたふりや、

時計を気にするそぶりでもして

パッと会場を出るのとは

トイレに行く重みは全然違うんだ。

具合悪いそぶりをして出ることも

できるけど、「ぜったいトイレだよね~」

という勘繰りは免れない。

自意識に違いないが、この頃の子供たちは

それぞれ自意識でパツンパツンに

膨らんでいるから誰かのちょっとした

ズレに敏感だ。そこをつついて、

ちょっと空気をぬいてごまかしがら

なんとか息をすっていられる。

でもこの私が代表してつつかれる

いけにえになることはゴメンだ!

そんな感じ。

 

子供にとって、学校やクラスは

世界そのものだ。だから、そこでの

いじめやハブは大人の尺度で

図れない壮絶さがある。

大人は、「もう少ししたらどうせ

離ればなれになるんだし。」とか

「社会の厳しさに比べたらかわいいもの」

と思うだろう。

また、逃げればいいともいうだろう。

(そう気安くいう大人は、大抵本当の

意味で逃げたことがない。)

世界は広いこと、逃げられること、

そして自意識をごまかすことを

少しずつ覚えたからそう言えるだけだ。

そしてその尺度の違いを思い至らず

反省しない大人にはなりたくないなぁ。

 

 

 まぁ何がいいたいのかっていうと、

卒業式はインターバル挟もうぜって

話\(^_^)/

 

 

 

 

 

 

理想の終末

 

意識が 朦朧とし始めた。

呼吸が苦しく、肩全体で

やっと息を吸い込む。

口が乾き、舌が下顎に粘りつく。

頭がぐわんぐわん、脈の音が

聞こえる気さえする。

川のせせらぎのようで、

若葉のさざめきのようで、

晩秋の夜に降り続く雨のような音。

脳が酸素を求めてぎゅっとしている。

今になって、やっと身体の話を

ゆっくり聞けているのだから可笑しい。

雑に扱って労りもせず、生まれてこの方

よくもまぁ支えてくれたもんだよなぁ。

ありがとう、お疲れさん。

 

息をするのも億劫で浅くゆっくり

吸ってはく。すぅ  むぅ  すっ

 

 

 

あぁ、死ぬのかぁ

あっけないなぁ

ずぅとといつづけてきて、

今、なんだなぁ

なんかやり残したこと、否

考えなかったことは…いいか、もう。

 

あぁあぁぁああああがががあ

かな※$な▲だい§℃ふ@ほ;

(ぜんぶ、くずれていく)

(ことばが、コトバ?)

 

 

身体でない背筋が固くなり、

口ではない媒介から血がゴボゴボ溢れ、

肺ではない循環器に逆流する

 

 

怖いはずなのに、それを上回るのは

おかしみか。

わらけてしかたない。

大解体や、サイコーや

(ぜんぶぜんぶこっぱみじん!)

 

わはははははは

ぬほほほほほほ

 

とた  ぱ っ

 

 

 

I

 

 

 

…みたいな感じだったらいいな。

創造の真っ只中、あるいは仮想の

頂点を保って思索的冒険をしないまま

迎えるよりもばらっばらに解体されて

創造が追いつかないまま突入したい。

最期の最期まで 一瞬でも見てやろうと

野心を持ち続けていたい。