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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

笑いの効力

 

 

笑いってすごいね。

笑わせるってすごいことだね。

 

出会いの数を増やそうとしている

中で、傷つけたり失敗したり

単純に縁がなかったりする。

そしてまたいちから積み上げる、

その繰り返しがたまに心を重くする。

みんなそうなんだけど、

これを越えなくちゃなんだけど、

やっぱり消耗する。

 

そんなときに、ふわっと

笑わせてくれる人がいる。私も

楽しくなってボケてつっこんで。

純粋に話すことを楽しめている。

うまくやらなきゃっていう固さを

解いてくれる。

癒されるね、これは。

 

ありがとう、と伝えた。

いつ最後になるかわからないから

それでもたくさん貰ったから。

 

私が過剰におふざけキャラだったとき、

笑いは自分を守るための手段だった。

傷つかないようにつけた鎧だった。

笑わせることは苦しいことだった。

人間失格の主人公のように、わざとさを

見抜かれることを恐れていた。

でも本当は、人を癒すことが

できるんだね。

サービス精神と優しさと暖かさ。

 

私も誰かに渡せるといいな。

 

 

反省。よし、次!

 

傷つけることができるのは

自分だけだ

 

 

そう思いながらも、やはり気にしている。

さすがに態度悪かったよなぁ、謝りたい。

たぶんすごく真面目で、頑張り屋で

努力を重ねて生きてきたんだろう。

出会いを大切にしたいと考えるからこそ、

期待も大きかったんだろう。

真面目に向き合おうとしてくれた人に

わざと怒らせるような不誠実な態度を

とってしまった。反省。

 

かちかちになった心を解すんでなく、

パリッとヒビをいれてしまった。

今を認められなくて足らないものを埋める

彼を、よりいっそう駆り立ててしまった。

ごめんて、言葉足らずで。

 

たとえ終わってしまう関係でも

一度でも交わったなら、大切にしたい。

だからこれからは、ホントに気をつけよう。

たとえ鎧を脱がすためであっても

本当の大切に触れるためであっても

いつどのようにやるのか慎重でなくては。

いつも次はないと思って、向き合おう。

 

 

 

 

ひとは期待に応えない

 

 

たいていひとは期待に応えない。

応えなくていいしな。

でもなんでかな、真面目に期待に応えて

きた人ほど、ひとに期待してしまう。

そして相手が応えてくれなくて、

ないがしろにされたと勝手にへこむ。

あるいは、「これくらいやって

当然だろ!!!」と怒る。

いずれにしても、精神衛生上

あんまりよくないよね。

 

自分にかすハードルも高いから、

高望みというわけではないだろう。

でも、ホントにそんな肩肘はらなきゃ

いけないかい?と疑問に思う。

理想の男性像があって、それに向かって

足りないものを埋めようと必死に

なっているんだろうな、と感じた彼。

イケメンではないことを非常に気にかけて

いるようだったけど、いや十分だと

思うよ、といってあげたかった。

かたちにこだわりがなさすぎて

へぇ~と流してしまったけど(笑)

 

堂々としているか、認めて笑っちゃう

人の方がかっこいいなぁと思うけどね。

顔のつくりとか遺伝的なことで

判断するような人間ばかりじゃないよ。

自分がそこにこだわっているから、

同じようにこだわる人が集まってくる。

わざわざ自分が弱いと思うフィールドで

戦わなくてもいいのになぁ。

 

なぜ、イケメンになりたいのか

なぜ、その理想像を描くのか

 

かたちは手段だ。イケメンになるのも

描く理想像も、手段だよ。

目的じゃない。お金を稼ぎたいとも

いっていたけれど、それもモチロン

手段だ。

なぜ?それが見えなかった。

ことばを感じなかった。 

だからたぶん、全部手にはいっても

満足しないんだろうなと思ったよ。

 

愛に向かって線を引けないときは、

とても苦しいものだよね。

愛、というかたちがあると思って

探し回って。手に入ったと思ったのに

いかんせんかたちは変わる。

ののしりあって憎みあって

形骸化した愛であったものを呪う。

でも本当は、愛というかたちはない。

在ることのなかに、その根底に

流れているだけだ。

時と共に変わっていく

かたちとは異なり、悠久のものだ。

 

だから、違いを面白がって

変化を認めて生きていきたいな。

それが私の思う実直さなんだけどね。

 

 

 

 

自殺はなぜダメか

 

 

自殺はなぜダメか。

私なりの答えを述べたい。

 

まず、多くの場合自殺によって

解決されないからだ。

問題解消の仕方に誤りがある。

なにかが上手くいかないなら、

全部やめてしまおうという

考えで死を選ぼうとする。

 

その場合、やめるのは生きること

ではなく、かたちへの執着だ。

勝手に問題化しているのは、

なぜだろう。誰から見てなにゆえに

問題なのだろう。どんなかたちで

あることを放棄したいのだろう。

そういうことをうやむやにして

死のうとするのは、生きることへの執着が

ないくせに執拗なまでにかたちへ

執着しているからだ。執着したいからだ。

ならば、死んでも解決されっこない。

かたちがないのだから。

かたちはかたちで解決するしかない。

 

かたちで解決できることで絶望なんて

するな、かたちで超えられないもののために

賭けるもんだろ命はよ!!

刹那的な「生活」を省みないツケで

″死のう″?死ぬことを″選ぶ″?

ぬかすな。

生まれることも死ぬことも私には

″選ぶ″ことなんてできない。

選べるとすれば、生の始まりから生の終末

までの生き方だけだ。

生活を謳歌してきたのに、生活に溺れたら

″死のう″なんて図々しい話。

生きるのを選んできた人間だけが、本当に

″死ぬ″ということを考えることができる。

お前はどれほど真剣に生きることを

考えてきたか。生活でなく、生きることを

考えてきたか。

己の保身や安寧の為でなく、すべての

かたちの虚しさの為に祈ったことはあるか。

 

 

生きることは別に良いことじゃない。

生活に至ってはたいてい茶番なんだから、

そんなちっさい枠でくくった形式なんかに

縛られるな。ドMか!

いいか、まずはラベルに気づけ。

こうでなきゃいけないとか

こういう人間だとか。そういう貼られた

ラベルなんざ、かたちを出しきる上で

邪魔になるから。ただし、自分の核の

部分を形成しているものもある。

それは根本的な価値観だ。君が生きるのを

支えるものでもある。だから、

それ以外のはがせるもんははがして、

価値観はそれとして認める。ここでいう

認めるは、点検確認のこと。

あるねで十分だ。

そうでなしに、生活を彩っても

かたちを取り繕っても虚しさなんて

癒えやしない。

変わろうとすることや様々な選択よりも

ただ認める、ということがなによりも

難しい。そしてそれができたなら、

すべてじゃなくてもいびつであっても

ぐちゃぐちゃ泣いたまんまでも

「あるね」っていえたなら。

それ以上に大切な生活なんてものが、

あるのかい?

 

 

いじめ、虐待、過労、老化、金銭。

鬱屈とさせている原因はなくならないかも

しれない。ただし、向き合いかたは選べる。

受け取りかたは選べる。

お願いだから近視眼にならないで。

選べるあなたを棄てないで。

そう願うから、可哀想だなんて言わない。

最後の鍵はあなたが持っていなくちゃ

いけないよ。誰かやなにかに委ねているなら

まずはこの手に取り戻すこと。

そこから始めよう。

なんどだって、そこから始めよう。

 

 

 

 

アウトロー\(^-^)/

 

 

迷ったときこそ、思い出せ。

既にアウトローだったでしょうが(笑)

こういう日が来ることを

どこかでわかっていたのだろうな。

 

 

あえてズレたのは、ズレるのを

恐れないでいたかったから。

ズレるのを恐れて、小さくなって

それなりに生きていたくはないと

そういう大人になりたくないと

思ったからだった。

 

普通、やらないでしょ(笑)

そう言われたけど、私はその普通という

枠組みを取り壊したかった。

やってよかったよ。

そのとき開いたせかいは、度々

私を救ってくれた。

 

安心してください、普通の枠、

もう壊れてますから!笑

なんでもこいのどんとこいだ。

 

どう生きる

 

 

生活を軽視しがちではあるけど、

生きるは生活に寄り添うように

あるわけで。

解体期が近そうなので(笑)、

今のうちに考えておこう。

 

 

好きなこと、大切な時間でいえば

本を読むことと一人で考える時間かな。

考えたことをつらつらまとめるのも

すっきりするし、せり上がってきたものを

言語化しておくと後々役に立つ。

できれば一人でふらっと旅する時間も

ほしい。半年に一回、二三日あれば

とてもいい。

 

家族や友達と過ごす時間って、

あまり考えたことがないかも。三ヶ月から

半年にいっぺん話せればいいかなぁ。

なかなか薄情なやつっぽいけど(笑)

単純に集まってぐたぐだするのって

息抜きにはいいけど、日常ではいいかなぁ

というところ。

だからたぶん、地元は過ごしやすいけど

地元志向ではないのかな。

 

 

そして仕事。今の仕事は慣れてきて

楽しい部分も飽きた部分もあるかな。

でも人に恵まれているから、穏やかに

過ごせていると思う。

でもずっとやりつづけるのか?といわれたら

微妙かなぁ。理想のコースが

みえないというところもあるし、

今はいいけど年を重ねると難しい部分も

出てくるだろう。

単純に、どうせならほかの仕事も

してみたいなというのもあるかな。

周りがみんな転職しているというのも

あるのかもしれないね。

できれば、技能なり技術なりが

積み重なっていく仕事がいいかなぁ。

あ、でも本読むことと一人の時間は

死守したい。

 

 

場所は、あんまりごちゃごちゃ

したところは苦手。しかし、

雪深いところも苦手。(わがままか)

図書館が近いと嬉しい!

 

あと、結婚問題。条件で考えた方が

いいというのはわかるものの、

その条件が正直あまりないかも。

一つ譲れないのが自分の言葉をもって

いることかもしれないと、婚カツをしていて思った。言葉というか文体といえば

いいのかな、賢さとはまた違うんだけど

これが好きとかこれについてこう考えるとか

ほんっとくだらないことでもよくて。

あ、面白い考え方!その視点なかったわ~

っていう発見がある人が好きで。

つけくわえれば、優しいというよりも

優しい目で世界をみる人、弱さに居場所を

与えられる人が好き(⌒‐⌒)

で、一番疑問なのがどこに生息しているの

というところ…!

そして、最近加わったのが子供を生み

教育することへの興味。贈与でなくても

与えるわけ、まだはっきりしないけどね(笑)

 

 

 

生きるを認める。

いいね!じゃなくていい、

あるね!と認め続ける。

それが私にとって、せかいを拓くことで

豊かなことだ。そこがわかったから、

わりと形式はゆるく考えている。

逆にいえば、いくら形式的には

世間体がよくても、生きるを認められない

のなら、変えた方がいいだろうなって

ことだ。

 

 

解体期はわりと生活のことで

ぐるぐる考えがちになる。

だから今のうちに、自分に向けて

言っておこう。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

生きることは別に良いことではない。

かたちであることは虚しさとともに

あるということだからね。

でも生きるに値しない人生はないよ。

わざわざかたちなんだからね。

親や社会に認められ、金や地位を

手にいれ、たくさんの人と共にいても、

虚しさがなくなるわけではないよ。

特別なことをして唯一の存在に

なろうとするのも、生産=価値を背景とした

資本主義社会の幻想だ。

なんにもなくても認めることはできる。

どうせ終わってしまうかたちなら、

変わってしまうかたちなら、

どんなかたちでいたいだろう?

 

今、自分で人生の駒を進めようと

しているね。もっと世界に触れて、

せかいを拓きたいという好奇心のため

だろう。けれど、不安や義務感、

利己心で選ばないよう気を付けた方がいい。

窮屈なところへ追いやらなくていいんだ。

あくまで私のかたちを、輪郭を強く

打ち出そう。そういう場所にいよう。

 

私のかたち。

優しくありたかった私は、今、人の優しさに

気付ける人でありたい。たくさんの

優しさに触れて、思うようになった。

世界に触れてせかいが変わることは

豊かなことだね。

 

二面性。

創造期と解体期がかなりはっきり

しているね。それが苦しくて悔しくて

毎年色々試みては来たけれど、

まぁ来るもんは来る。(笑)

そしてどちらもことばへの希求ゆえだ。

どれだけ歯軋りし髪かきむしり

コードで首しめそうになっても(笑)、

ことばを掴んでやるという野心。

それを、認めるよ。好きなだけ

ことばの海でのたうち回れ!(笑)

春が来れば、掴んだことばを言葉にし

せかいを拓くでしょう。それも、認めるよ。

 

誰かのためにかたちを縮めるな、

形式のためにかたちを歪めるな

 

 

よし。頑張らないで、生ききれ!以上!