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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

震災とは何であったか?

 

 

こんにちは、ぴーやまです。

私は地震、中でも東日本大震災には

並々ならぬ思いがある。

それは現に被災したからであり、

あの震災から大きな問いを受け取って

未だ答えられていないためだ。

 

地震のあと、様々な動きがあり

私もその輪に加わってきた。

防災や減災、復旧復興を考えて

かたちにし拡げていくこと、

その中心で発信していくことは

災害としての地震と向き合う意味で

やりがいがあった。

けれど前に進んでいるはずなのに、

澱のように沈んでいくものも

同時に感じていた。

 

 

 

「私はこの震災から何を学ぶべきか」

 

 

活動というかたちを重ねることで、

意味そのものから逃げてはいないか?

いかに存在するかに注力することで、

存在そのものの不思議から遠ざかっては

いないか?

地震が揺るがしたのは、存在という

根っこだったのではないかと思った。

そこから意味である意味を問うために

文学宗教科学哲学芸術と大海に

潜り込んできたものの、

未だ答えられていない。

 

 

ただ、人生を賭けてもいいと

思えるひとつのアンサーを見つけた。

解明はできないが、生きるなかで

証明していくことならできる。

答え続けていくことでのみ、

答えられるというわけか。

風化など無縁な気がする。

 

今日が最後だと思って生きない。

なるほどそうだよな。これからを、

明日を思って生きるのだ。