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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

考えるスパイラル

 

考えることをやめたくて、

もがいて苦しんで

藁をもすがる思いで

手を伸ばしたのは

考えることだった。

考えることが追い詰め、

考えることで救ってきた。

すべての波は、考えること

すなわち意味を求めるゆえに

引き起こされる。

だから、考えることが怖い。

けれど、考えられなくなることは

もっと怖い。

 

あるね!と認めるために

考えること、すなわち

意味を求めるエネルギーは

それほど必要じゃないように思う。

まだからまっているから

遠回りしているのだろうか。

自分だけでなく、全存在者の

あるね!を認めようとするから

燃料詰まりするのだろうか。

 

なにも考えずにいられるのは

寝ているときだけだった。

なのに今は夢の中でさえ

考えている。思うように考えられない、

考えが散り散りになりまとまらない、

ということを悶々と考えている。

全然休まらない。

意味を求めるエネルギーを

全力で燃やすのは、

かたちを出しきることだと思う。

それは、生きることを考えるということ

なのに頭のなかは彼岸が占める。

「死んだらかたちを失うから、

意味を求めなくなるぞ。

そのものになったら、片鱗を

掴めないぞ」

それだけが、首の皮一枚残して

生きる方へとどまらせている。

周りの人に悪いとか迷惑かけるとか

そういうことも多少は思うけど、

抑止力にはならない。

ギリギリのところで耐えさせるのは、

結局知りたいという執念だ。

 

 

繰り返すたび、擦りきれていくのが

わかる。脳ミソだって消耗品だ。

完全に考えられなくなったら、

どうなるのだろう。

楽になるだろうか?わからない。

意味を求めるエネルギーがなくなり、

かたちとしての意味だけになったなら

かたちを出しきっている

といえるのか。むしろその方が、純粋に

かたちなのか。出しきるとは、

どういう状態なのだろう?

 

 

脳ミソぶん投げたい