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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

言葉の源泉「ことば」

 

おはようございます、ぴーやまです。

やっぱりこだわってしまう

言葉について!

 

煮えたぎった結果、改めて言葉へ

思いを巡らせているわけですが

言葉を仕事にしている人は

そう多くない。アナウンサー、

小説家、詩人あたりは言葉と

密な関係にありそうだ。

とはいえ、純粋に言葉を目的に

しているわけではない。

アナウンサーはある情報を伝えたり

言語未然のものを共有したり

するために言葉を用いるし、

小説家は描きたい世界があって

それを表現するために言葉を用いる。

一番言葉に近そうな詩人といえど、

旋律や体系のなかで言葉を用いて

芸術を表現する側面がある。

そう考えると、言葉の仕事といっても

言葉を用いた仕事であって

言葉を目的とした仕事ではないのかも…

という気がしてくる。

言語学者くらいだろうか?

ではその他大勢の私たちは、いかに

言葉と向き合えばよいのだろう。

 

 

 

言葉の拡がっていく傾向性を思うと

重ねるほど豊かなことだと考えてしまう。

だが、ことばの方はその奥にある。

いわば言葉の源泉だ。

辿り着こうと研ぎ澄ましていく

過程でこそ、近づけるのではないか。

そして、その過程で瞬間瞬間の感動を

捉えて言葉にし、自らに手繰り寄せ

せかいを拓く。それこそが、「生きる」

ことではなかったか?

(言葉における豊かさの構造は、

物質的・精神的なそれと同じだと感じる)

 

言語の意味でいえば言葉は″用いられる″。

けれども、その根底には「ことば」が

ある。なきゃいけないと思う。

言葉を用いて「ことば」を展開し、

そしてせかいを拓いていくこと。

それが言葉を持つ人間が、自らの

虚しさを癒す唯一の道ではなかろうか。

 

 

 

 思うに、言葉はもっと多様だ。

「ことば」は言語というかたちに

収まるものではないから。

言語で捉えようとして取りこぼす時、

それを受け止めようと言葉を尽くす。

その意味での言葉は、人間だけに

留まらずすべての存在者へ通じている。

存在者が「ことば」へ迫るための回路。

ことばへ迫る圧倒的な戦いこそが、

他の存在者を揺るがす感動になりうるの

ではないかと思う。

 

★★★★★★

生ききる、それはすべての存在者を

存在者たらしめる在り様で、

唯一のしごと。そう思う。

いわゆる幸せと生ききることの

関係性を見いだせず葛藤してきた中で、

現時点で納得できるかたちは

「幸せは権利、生ききることは意義」

 というもの。

=でも>でも∪でもない。

そういうかたちで分かりやすくするには

割りきらなくてはならないけど、

そのなかで取りこぼすことにこそ

言葉を尽くしたいから。

 

割りきらないで矛盾のまんま

引き裂かれていたい。死にたいまま

生ききりたい私の在り様そのものだ。