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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

言葉の力とはなんぞ

こんばんは、ぴーやまです。

 

「心持ちひとつでどうにでもなる」

そんな話を切々とされ、ちょっと

ひっかかりを覚えた。報連相の

技術や立場ごとの意識、声のだし方

なんかは確かに省みる機会としては

有効だろう。けれども実際

一社会人として仕事をしていれば

ある程度体得していくもんだし、

体得できない人は無自覚だから

言われたところで響かないのだ。

だから、わからず屋はわからず屋で、

不機嫌は不機嫌なのだ。

 

振る舞いの詳細や気持ちを考察して、

暴いてみせて、いったい誰に届くのか?

体得してる人はとうに知ったうえで

ネタにする以上は突っ込まず

距離を保っているわけだし、

当人は自覚がないからそうなのだし、

あるいは自覚があっても上手くできない

障壁があるわけで。

 

「言葉の力」って銘打つなら

自分のことばで語ってくれよ。

仕事の時間を割いているのだ、

講師の費用も払っているのだ。

おべんちゃら聞くために

集まっている訳じゃない。

「ほんと、そっすよね」は

上司らだけで十分である。

全部どっかで聞いたことのある、

耳障りのいいことばばかり。

発した側からツルッと抜けていくのは、

聞いている側の「心持ち」のせいでは

ないぞ。プライベートで

安直なポジティブ思考でもって

気にしないのは勝手だが、

仕事なのだからフィードバックしようじゃ

ないか。それが建設的ってものだろう。

何を言われても動じないことを

プロ意識と勘違いしてもらっちゃ困る。

聞いたふりして受け流すのが

コミュニケーション?

どうせ虚しい私たちなのに、

どこまで淋しくなるんだろう。

受け流されたときの渇いた痛みを

思い返さずにいられるんだろう。

 

 言葉は力だと思うからこそ、

よく練らずにきれいに並べようと

するのが気にくわない。

人間関係なんて全然イライラしないよ、

そっちのがよっぽどイライラする。

言葉に失礼だ。言葉に対する

不遜な態度だ。

 

響かない言葉なんて

揺さぶられない言葉なんて

力のない言葉なんて

 

お前が 歯軋りしながら

ギリギリのところでつかみとった

言葉じゃなくちゃ、

自分自身がうち震えた言葉じゃなくちゃ

 

 

 

叫びたい、うわぁあああって

叫びたい。これは、怒りだ。

もはや講師なんてどうでもよくって、

言葉に対する渇きであって

祈りのような懇願であって

とにかく煮えたぎっている。

言語としての言葉と言語未然の言葉が

るつぼのなかで何かを生みだそうと

して苦しい。あぁよいよい。