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模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

命のベクトル

 

 

生きたくなるように

自分を仕向けてきたけれど、

ふぅと息つくとき

死への衝動にかられる。

飛び降りそうになる自分を

ぎゅっと抱え、落ち着かせては

むなしくなる。

結局、死にたがりのまま生きている。

 

命にも、ベクトルがあると思う。

死に向かうベクトルは、

病的な気質として治療の対象と

されるか、反社会的なものとして

裁かれる。

臭いものに蓋をするように、

あるいは薄汚れて寝転ぶホームレスの

脇を足早に過ぎるように。

 

在ることを認めてはもらえない。

すべて生に向かうはずで、

そうでないものは病気か狂気だ。

でなければ、法や秩序はどうなろう。

あらゆる生産や社会は成り立たなくなり

正しさは綿菓子のように頼りなく、

何を根拠に立てばいいかわからない。

そうかもしれない。

でもさ、在るもんはあるんだよね。

なけりゃよかったかもしれないけど

どうしたって在るのだ。

誰に認められなくても、

解明できなくても在るのだ。

 

 

社会の役に立たなければいけない、

消費よりも生産を多くしなければ

いけない、関係を構築し

恵みを享受し生きることを

望まなければいけない、

病気や災害は乗り越えるよう努め

生きようとしなければならない

 

 

面白くもないのに笑えてくる。

なんでこんなことしてるのだろう?

生真面目な顔でやってることが、

おかしくて仕方ない。

生へ向かうことに興味がないのだから

それを支える諸々のことに興味が

ないのは当然だ。

 

死へ向かうベクトルは、

自然災害と相性がいい。でもせいぜい

台風や雷にわくわくする、

位が認められる範疇で

地震や津波、隕石衝突や氷河期到来

にわくわくしたらやばい奴。

そういう感覚はこれまで生きてきて

身につけてきたから、

気をつけていれば境界線を越えることは

ない。でも、氷河期が到来して

荒涼とした風景を想像すると

安らかな気持ちになる。

 

 

生きたい人の障害になること、

病気や過重労働や貧困や差別は

改善されるべきだ。それは、わかる。

だからといって、あらゆる障害さえなく

なればすべての人は生きることを

讃歌できるようになるとは思えない。

環境がよくなり病気は治るように

なり災害は予知できるようになる。

ますます死ににくくなるな、

とゾッとしてる人間は一定数いる。

尊重されるべきは、意志が生命か?

そんな問いだけが漂っている。

 

*******

 

起きたら目やにでまつげが

ひっついていた。

また朝がきた。

営むことすら考えず、

顔を洗いコーヒーをのみ

髪をとかし服を着替え

ホームの人ごみに加わる。

 

生きる。それは、意志だろうか

生命だろうか。

生きている、は現在進行形で

生きた、は過去完了形。

生きる、は過去と未来を根拠にした

現在進行形。