せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

悟りと狂気は紙一重

こんばんは、ぴーやまです。
今日は悟りについて!(ざっくりか!)
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悟りと聞いてどんな状態を思い浮かべますか?
お坊さんが座禅のまま浮いているとか、
お坊さんが燃え盛る業火の中で念仏
唱えてるとか、お坊さんが山の上で
絶食してるとか、お坊さんが





いやもう坊さんはお腹いっぱい(^q^″)
私が安直すぎるだけかもしれませんが、
だいたいはお坊さんとか聖職者とか
ちょっと人間離れした人を
想像するんじゃないかと思います。
でもでぇー
あどでぇー



フツーの人でも悟れます。

なんたってフツー界きってのフツーが
悟るんだから。しかも修行なし、
山籠り必要なし、スマイルないけど0円!
方法教えるヨー!

①せかいの大崩壊

世界じゃなく、せかいなんで
ドラマになりそうな壮絶な
出来事は必要ないです。
でも崩壊は解体という運動によって
引き起こされるので、意味を強く
求めざるをえない経験なり体験なりは
必要でしょうね。
豊かな想像力である程度補えるので、
例えば前髪切りすぎたとかでも
崩壊するかもしれません。
(そんだけ豊かな想像力なら
他の方法思い浮かびそうですけどねっ)

②せかいと世界の不和

せかいが崩壊するとしばらくは
呆然な訳です。その辺に肉片転がっていて、
建て直しとか考えられないし
一歩も動けない気持ちに占拠されます。
でもそれだけでは足りず、世界との
不和も必要です。
つまり、世界は創造期でものも文化も
豊かでみなベクトルが外へ向いている
ような状態。景気がいいとか華やかなイベント
とかでしょうね。もちろん世界全体でなく
て構わないので、例えば友達の誰それが
結婚するだとか昇進するだとか
そんなことで十分。ようは、
「自分だけみんなと違う、
おいていかれている、もう間に合わない、
ダメだ存在しているのが悪なんだ。
ただ消費してるだけの役立たず、
みんなかわいそがってるだけ、
もう誰も本当にわかりあえない、
一人だ孤独だ愛されていない求められない
″生きている意味がない″」
という気持ちですね。(なげぇわ!)
これも想像力と何事も結びつける
逞しいコーディネーション力があれば
補えるのでご安心を!
あと、自意識過剰気味の人は
有利かもしれません(^o^)

そうこうしているうちに得体の知れない
不安感で頭も心もオーラもどんよりしてきます。
目とか死んだ魚に失礼なくらいの
濁り方になってきたら、もうそろそろ!


③無感情状態へ突入

これはどこから発せられる危険信号によるのか
特定はできていませんが(全身なのか?)、
感情がなくなります。
一気になくなるというより、
「あれ、なんかあんまり嬉しくない」
「思ったより悲しくなかった」
みたいな、少し感情が弱い状態から
始まります。

おかしいかなと思いつつ
やり過ごしているうちに、
気づけば世界は無彩色になります。
透明とかグレーとか靄とかそんな
ものにおおわれている感じ。
全身はくまなく薄膜で包まれた
ようで、外界と直接
触れている感覚がなくなります。

それに気づいたときには
「へー」
くらいになってるはず。完全に他人事です。
それからはもう何が起きても他人事に
しか思えず、まるで映画をみているような
日常が始まります。

無気力、無感情。
まわりに気づかれないよう
場面に応じて態度や表情を作れば
ごまかすことは出来るけど、
結局なにも感じていないことは
変わらない。焦りや不安が
募るだけですね。

同時に思考のほとんどを希死念慮が
支配するようになります。
なんせ無気力無感情なので
それ以外に自分事だと感じられる対象は
ないですし、思考もどんよりしてるので
他の選択肢が見えなくなります。

④せかいの大創造

そのうち、せかいの大創造が起きます。
原因として環境の変化とかは
多少関係あるかもしれませんが、
運動なので起こるべくして起きますね。
創造自体はほんとにあっという間に起こり
ますが、それは崩れ去った肉片を自分で積み
立てていく③の期間があるから。
個人差もあるかもですが、二年位
ですかね(なげぇわ!)

まず、感情が徐々に戻ってきます。
すっかり忘れていた感覚なので
感情の区分がうまくできず、
涙ばかり出てきます。
それが嬉しくてまた泣きます(笑)


で、ことばがとめどなく溢れてきます。
③の期間にどれだけ考えても行き詰まって
いたことがパッと組み立てられ、
さらに次のことばが溢れてくる感じ。
メモとるので精一杯です。

⑤悟り

「世界から愛されている!」
と天啓のように脳天にずどーんと
気付きが落ちてきます。
おめでとうございます、悟りましたね!

悟ったあとはというと、
世界は色を取り戻し鮮やかですが
違った意味で外界がまるで夢のよう。
同じ世界にすみながら、
その上空の静かな空間にいるような。
不思議と孤独感はなく、満たされた心持ちで
自分のことなどどうでもよくなります。
もう自分の人生は達した感があり、
他者や大きな課題のために残りの時間を
費やそうと自然思うようになる。
心は穏やかで何事にも乱れず、
風通し程度の緩い風に日常は包まれている。
多幸感がだだもれな感じですね。

で、自分がすべきことがスッと見える。
物事というか歩むべき道とせかいの核心が
見える。そして、それに邁進することが
生きることになる。つまり生きるの意味が
(ステージ?)大きく変わるのです。
これは結構プレッシャーで、今までみたく
自分のことばかり考えて一喜一憂して
いられなくなるわけです。
そうなると、実際悟り状態は邪魔になります。
穏やかで波風たたないのは、
波風たちまくりの世界を歩く中では
むしろ枷になってしまうのです。
なにがあっても「世界に愛されている」
なんて思ってしまったら、意味をもとめる
こともなく解体・創造もほとんど起きなく
なりますから。

⑥日常へ収斂していく

ありがたいことに悟り状態は長く続きません。
(ずっと悟っていたいならやっぱり
山こもった方がいいかもですね!)

とはいえ、①の前に戻るわけではなく
世界はらしい色で見えるようになる。
自分事も細々気になるけど、
比率としては世界に関心が向くし
関わりたいと思う。
そして、ノーマルマインドが穏やかな
春のような感じ。
一喜一憂喜怒哀楽も愛せることが
せかいを広げているので、
感情の機微や繊細な表現等
より難しい理解へと向かいますね。
それがただ楽しい(^o^)
そして、一種の確信を得ます。
「なにが起きても、大丈夫」

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見てみると、無気力無感情の状態と
悟りは結構にているなぁと思います。
心に風が当たらないのと当たった風が
収斂されていくのと、どちらも
無風なわけです。
もちろん、せかいの豊かさ(=認められること)は
百八十度違うのですが
この世界ではどちらもちょっと
生きにくい。

人生って時間的なプロセスだけでは
成り立たず、感情とか感動があってこそ
イキイキいきられるんじゃないかと
思うわけです。
今となっては薄れつつありますが、
やっぱり心に風が当たることは嬉しい。
冷たかろうが温かろうが
有難いんだと気づいたので、
どんなささやかなものでも理解が難しい
ものでもなおざりにしたくない。
それが今生きる原動力です!