せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

職業としごと

 

こんばんは、ぴーやまです。

今日もぴっかり働きました。

思い悩むこともあるけれど、

おおよそやりがいもあるし

人間味がある仕事仲間や昭和っぽい

社風も実は好きだったりする。(ポッ)

 

 だから、職業としては満足している

んだけど、人間としてはたまた存在者

としての「しごと」について考えると

満足はできない。というか、満足したら

腐るよな。眠りこける一人になるつもりは

毛頭ない。

本来の「しごと」って、職業のように

簡単に言い表せるものじゃないと思う。

どちらかというと、生きざまに近いような。

でも、我々存在者が目指すのは

存在つまり愛に迫ることで、それは誰か

だけやればいいものでも

誰かはやらなくてもいいという

ものでもない。それぞれに異なる方法

異なるかたちで、「あぁ、これも

あるのか!」と驚くような各々のせかいを

開示していくことでのみ世界の広さと

深さを見いだせると思うし、

立体性を求めることで永遠性の輪郭を

もしかしたら感じることができるんじゃ

ないかなぁと思う。(二次元の絵が

時に三次元を超える立体性を見せるような

奇跡があればいいなぁ…なんて。)

また、座標にして集中や分散をみれば

共通項を見つける手がかりにもなるだろう。

 

多様で多面的なせかいが開かれていく

ことは、存在そのものへ迫っていくという

ことだ。もちろん存在そのものに″なる″

わけではないから、解明はできないし

その必要はない。わざわざかたちがあって、

意味を求めるのだから、そのものを

目指して全存在者統一になっちゃあ

本末転倒だ。

 

話がそれたが、つまりすべての存在者の

「しごと」は己のせかいを追求し

開示して世界の創造に関与することで、

共通の目標は愛に迫ることだと思う。

どんな切り口で愛に迫るか?が

「しごと」を左右するのだろう。

 

私の場合は、物語力の構造把握と

その開示という手法を主としながら

世界の創造に関与するんじゃないかと

思う。今のところ、それがしっくりくる。

生きざまの北極星として、

ある職業を挙げてはいるけれど、

本質はあくまでそこにあると思っていて。

また、簡潔なキャッチコピー?として

愛の翻訳家を(心で)自称している。

これ実生活でいっちゃったら

だいぶ怪しいやつだけどさ(笑)

あと、内在する弱さ醜さの肯定を通し

鬱屈や哀愁による存在者同士の

共感にある可能性を見いだしている。

分かち合いは、各存在者が世界において

足場をえて、真に自由にせかいを拓いていく

ためにこそ必要なのだと思う。

喜びや向上心、慈悲や正義を通して

分かち合う可能性を諦めたわけ

ではないが、そっちの切り口は

他の誰かがやってくれると思うから。

これが他の存在者への押しつけでなく、

「信頼」となるよう私も私の土地で

生ききらないとな。