せかい地図更新中。

模範解答はいらない、自分の答えを導く方程式

旅の途中

 

 

通りをいく人を眺めるのは楽しい。

どこから来たのか、何を考え

誰を想い、どこへ向かうのか。

 

中でも気になるのが、小さい子を

つれた女性。母になる、ということを

ぼんやり考える。

そして、これから生きていく子を見て

不思議な気持ちになる。

一個の生命体としてまだかたちに

なりきらない彼らは、いまここを

生きている。後先ない今を生きている。

それをたしなめたり見つめたりする

母もまた、今を生きている。

子を持つということは、今を生きること

でもあるようだ。

そして、子が成長するほどに

自分の死んだあとを考えるものなのかも

しれない。取り巻く環境が温かいもので

ありますように、幸せでありますように

と思うものなのかもしれない。

 

そして、その子供もいずれ子を持ち

同じように残る世を想い…という

ある種の繰り返しは、いつまで

続くのだろうか。

その繰り返しに加担するということは、

どのような意味を持つのか。

 

子を持つ人が何かしらの意味を見いだして

納得しているのかといえば、そうでない

場合の方が多いような気がする。

少なくとも、少子化抑制に貢献する

ためなどの理由は聞かない。

可愛いから、みんなそうするから、

老後寂しいから、親孝行になるから、

そういうものだと思ってたから、

できちゃったから…

そんなところだろう。

動機はなんであれ、産み育て

この社会とやらを存続させていくことに

貢献することが生きる意味である、

という形でぼんやり納得していくわけだ。

自ら考えるための教育がなされてこなかったのは、失敗ではなく成功なのだろうし、

実際その方が生活になじみやすい。

 

 

 

結局いつも、生きることを考えてしまう。

意味があるのではなく、意味であること。

本当に望むものはここにはないこと。

であるならば、なぜ、続ける?

これは誰かの問いではない、私自身の

問いだ。万人共通のものとして

傍観する立場はとりたくない。

 

もし、かたちから解放されたなら、

一体何がかたちを求めるのだろう。

エネルギーは何であろう。

なぜわざわざ有限を求めるのか。

あるいは、こちらのエネルギーに付随

する運動なのか。

 

考えるほど、生活における理想が

わからなくなる。

都会にすむか田舎にすむか、

家族を持つか持たぬか、

仕事をするかしないか、

洋食か和食か。それは好みか。

 

せっかく旅行に来ているのに、

できるだけはやく帰りたいなんて

笑ってしまうな。